昨年、インターネット上に掲載された1枚の写真がニューヨークのミュージック・ギーク達の間で大変な話題となった。それは、現在のニューヨーク・インディーロックシーンを考察する上で、象徴的な出来事となったので少し古くなってしまったがお伝えしたい。
クレイグスリストより
「月8,000ドルで倉庫貸します」
昨年1月30日、コミュニティーサイト“クレイグスリスト”に、ある不動産情報とキレイにリノベートされた倉庫の写真が掲載された。壁一面に白いペンキが塗られ清潔感さえ漂うこの倉庫の写真は、ローカルメディアによってすぐに報じられ、ソーシャル・ネットワーク・サービスを介して大変な話題を呼んだ。しかし、一見どこにでもある倉庫の写真が何故大きな話題となったのか。実はこの写真が掲載されるわずか2週間前まで、ここは煙草とウィードの煙の中、若者たちが汗まみれになって踊り狂う、ブルックリン定番のライブスペース285Kentであったからだ。
今では伝説とさえ呼ばれるライブスペース285Kentの歴史をひも解くには、今から9年前に溯る必要がある。2006年、ブルックリン区ウィリアムズバーグの川沿いの倉庫街でひっそりとオープンしたあるクリエイティブ・スペースがあった。伝説のミュージシャン、ルーリードのアシスタントによって始められたこのスペースはParisLondonNewYorkWestNileと名付けられ、多種多様な芸術家達が作品の展示・パフォーマンスを行う事で独自のコミュニティを築き、アヴァンギャルドなスペースとしてその名を馳せていた。
ParisLondonNewYorkWestNile Trailer
(ParisLondonNewYorkWestNileの当時の様子を収めたドキュメンタリー)
しかし、00年代後半に一時代を築いたParisLondonNewYorkWestNileは約4年間という短い期間でその活動を終える事となる。そして2011年に、このスペースを引き継いだのがプロモーターのトッド・パトリック氏だった。元々ライブのブッキングをしていたパトリック氏によって引き継がれたこのスペースは、ミュージシャンによるライブを中心とした新たなスペースとしてその姿を変えた。そして通りの名前と番地をそのまま名前にした285Kentが誕生したのだ。