「東京という概念の中で生きるシリーズ vol.1」

東京で25才を過ぎると、人間のエモーショナルは加速する。
自分自身の体感が本当に大人なるのは多分、女なら30才を過ぎてから。男性なら35才からだろう。
しばらくの間は「若者」っていう毎日を過ごす。自由という連帯感で繋がる私達の、無責任で都会的な感性。

仲間を感じながら、仲間との信頼関係をベースに、たまに色がほしくなったりするときに、ほんの少し華やかに、鮮やかさを乗せて遊ぶくらい。私達若者は信頼できるものを見極めて、限りなくシンプルに生きている方だと思う。

私、ガガ・ディーレちゃん25才もそんなうちの1人。

そんな日常に、ペンキをぶっかけられるような瞬間がこのところ増えてきた。
それが「思い出」との対峙だ。

2度と戻らないあの瞬間の匂いがついた朝の渋谷、夜の三宿、そして三軒茶屋。多分みんな分かるよね。あの気持ち。
夏の匂い、冬の匂い、すれ違った香水の匂いが、1秒とかからずに脳みそを刺激して、何年ぶりかに引っ張り出されても鮮明に脳内に蘇る光景。
今更、私の大好きなtofubeatsの「No.1」が特別な曲になってしまった日。帰り道に、ラブリーサマーちゃんを聴きたくなった毎日。痛々しい自分。
 

歩いているとき、シャワーを浴びているときだって、ひょんな引き金でバケツをひっくり返したペンキように、突然頭の上から記憶が降りかかってくる。

そして胸を締め付けてまた、手を伸ばしても届かない速度で風に流れる。
その度に涙を流しそうになったりするのだ。
どんなに楽しく生きていようと、思い出の強度は多分年を取るたびに増していて、背後霊みたいに待機してやがる。
それがとても悔しいのだ。

何年も前のことを、脳みそが、
めまぐるしい毎日に追い出されてしまわないように必死で保存している記憶の断片達と、行き場をなくしてしまい込んで無理矢理前を向いてしまった成仏されされなかったあの時の気持ちが、想念となって化けて出ているなんて。
私達は一体いつまで、”大好きだった貴方”と戦わなければならないのだろう。もうあれから何年経ってると思っているんだ。むかつく。

東京は、行動力次第でどこまでも夢を叶えてくれる街。
学生時代に大好きだったあのファッションリーダーも、あの音楽を生む人たちも、みんなここで生活をしている。
憧れが具現化されたような、概念の街。東京。東京出身者ではない私たちの思い込みと決めつけで構築された街。

憧れが詰まった東京で初めてする恋というものは、ロマンチックすぎるフレームを付けて訪れがちだ。

そんな思い出が、まるで映画の名場面集みたいに、思い返すたびに、再構築されて、また再構築されて、きっと真実よりずっと美しくなってしまっている、もはや妄想ですらあるそれは、異常なまでに、半分くらい若さを使い果たしてしまっている私たちを魅了してくる。
 

いつだって、今を生きている私たちの最大の敵。それが思い出。
過去に向かって流してあげる涙なんて、水の無駄使いのうちの10%くらいは多分それ。

思い出に勝つ方法があるならば、私はそれを知りたいと思う。

思い出に勝つ方法。ー 過ぎ去りし片想いの延長戦 ー busu-chanmomo_0-700x934
ガガ・ディーレ

ガガ・ディーレ(25)
正体不明のポップアイコン。中の人はあの人の第4のフィクション人格というお噂
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