「最近、まーちゃん外出てる?」
「最近ライブとか見に行ったりしてるの?」
と2016年はよく声をかけられた。

外には出ているけれど、
ライブやクラブに行きたくても行きにくい理由があって。

それはタバコの煙で頭が痛くなってしまうことと、
クラブなどの派手な照明(ストロボなど)のチカチカにやられて
頭が痛くなってしまうこと。
4年くらい前までは全然平気だったんだけど、
最近はめっきりダメになってしまって。
気軽に行くことは難しくなっちゃった。

だからライブハウスやクラブに行かなくなった時間で
同居人が預かっている猫と意思疎通をはかったり、
散歩してみたり、誰かとお茶したりしている。
 

「わたしがクラブに行けない理由」カルロスまーちゃんのビリビリスプリング IMG_5479-700x548

短めの耳と足と手とチクチクした毛。
撫でるところを間違えると見せてくるとがった歯。
いつ野生の本能むき出して
血が飛び散るほど噛み切られるか分からないから
猫だけでなく動物は大体怖い生き物と思ってた。
だから預かり猫とはいえ、
わたしの家に猫がいると言うと大体の友達が驚いてた。

だけれど、かれこれ6ヶ月を過ぎた頃。

じわじわと心に届く猫からの「真心」。
「撫でてほしい。」「甘えたい」「一緒に遊ぼう」
そんな声が聞こえるようになってきて、
人付き合いとなんら変わり無いじゃん!と
突然”ストン”と腑に落ちた瞬間があった。
猫を猫だと思って怖がるのって無慈悲な付き合いだなと反省。

それ以来、毎日猫に声をかけることでどんどん濃いコミニケーションが
取れるようになってきた。
猫を猫として可愛がるというより、同じ生き物として
仲間としてチームワークを築いていけばいいんだね。
 

「わたしがクラブに行けない理由」カルロスまーちゃんのビリビリスプリング 01900013-700x464

散歩

人とすれ違うの楽しいなと思うんだけれど、
特に園児たちのお散歩とのすれ違いと、ばあばやじいじとのすれ違いは
普段関わり薄い年代の人たちとの貴重な触れ合いタイムだからしっかり耳を澄ましてる。

こないだすれ違った小学生が
「マカロン食べたこと無い、9歳のバカですけど~!」
って家族に主張してて、、、、。
9歳って言葉を入れるセンス素晴らしいすぎるよ。

ある日にお散歩中の園児たちとすれ違ったとき
ちょうどすれ違う直前に雨がポツポツ降ってきて
先頭を歩く先生の「雨だ!」につられて20人くらいの園児たちが一斉に
「あめだ!」「あめだーー!」って伝染するように、歓喜するように叫ぶ姿が
印象的だったなあ。すごい喜んでて。エネルギッシュだった。
 

「わたしがクラブに行けない理由」カルロスまーちゃんのビリビリスプリング 56180012-700x464

お茶

「お茶しよ」って言葉はちょっと古めかしい人がナンパするときに使う言葉で
ドラマなんかでは聞くけど現実世界ではほぼ飛び交ってない言葉だと思ってた。
それが上京して渋家の人たちが「お茶しようよ」って何気なく使ってて
はじめは”あえて”使ってるのかなって不思議だったけどそんなことなくて
私が勝手な先入観持ってるだけだった。

2015年から禁酒している私にとって「お茶しよ」はすごくわくわくする言葉。
どこの喫茶店やカフェがいいかな、帰り道はあそこ通って帰ろうなんて想像できる。
それに24時間老若男女に通じる言葉ってとこにもグッとくる。
例えば「飲みに行こう」だと時間は夜限定で、主役が”飲酒”のイメージ。
「お茶しよう」だと朝・昼・夕・夜いつでも使えて、主役が”人”のイメージ。

人と会うってすごくいい。
顔を見て話せるのはもちろん、その人から放たれているにおいの変化にも気づいたり。
数ヶ月会ってなけりゃなんかしら変化があるのは当たり前。
だけど、どんなきっかけがあったのか画面越しでは分からない。
10代の頃なんかは「あの人変わっちゃったなあ」って思えばそこで終わってた。
自分の世界からあの人がフェードアウトするように遠くなった気がしたりして。
でもどうせなら「どんな時間を過ごしたんだろう」っていう疑問を解きにお茶したいよね。
絶対面白いもん。人の歩む人生って全然簡単じゃないから。
自分のことばっかりで終わってしまう1日より、
誰かとぼーっと過ごせる時間に感謝して眠りたいなって。

これが最近の思うこと。