宮沢 物と情報に溢れてる現代社会ですが、一部では伝統や古き良きものが見直されているし、メキシコのように政府自体がそういった活動を率先して行っているというのはとても良いことですね。若い世代にどんどん知れ渡って欲しいと思います。メキシコの現地では主にどういった活動をされてるんですか?

長尾 メキシコには毎年のように行っていますが、昨年はカンクンのデザイン学校のディレクターの招待で、現地に3ヶ月間滞在しました。最初の1ヶ月は遺跡や町、美術館などを述べ509箇所以上を巡る旅をしてインスピレーションを得て、次の1ヶ月は旅で撮り溜めた写真を素材に制作活動を行い、最後の1ヶ月で作品展<WONDER COLORS>(#wondercolors_mx)をカンクンで開催しました。

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宮沢 現地の人の反応はどうですか? メキシコはアートや音楽といったカルチャーは盛んなんですか?

長尾 コンテンポラリーはまだ新しい分野になりますが、壁画アートはすごく浸透していて、比較的自由に出来るんです。メキシコも階級社会だから、貧しい人たちのメッセージを政府に訴えるために描かれる壁画もあります。これは、2014年の夏にハワイのNGO団体「PangeaSeedFoundation」によるSEA WALLSプロジェクトに招集された時の壁画なんですが、ニュージーランドのアーティストAaron Glassonと一緒に一週間掛けて制作しました。場所はムヘレス島というところなんですが、自分にとっては屋外で初の大型壁画になったし、「NY Times」に掲載されたり、決して収入になるわけではないけど、とても良い経験になりましたね。メキシコでは、NGO団体が主催するこういったプロジェクトが多いんですが、町興しにもなるし、大切な活動だと実感しました。メキシコ良いですよ! 日本の国土の5倍あって、人口は同じぐらいで、自然が豊かで物価も安いです。天候も良いし、食べ物もおいしいし、何より人が純粋さを持っていますよね。

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宮沢 写真もそうですが、作品からも気候や人の温かみ、豊かさを感じ取れますね。行ったことがないので治安が悪そうとかステレオタイプなイメージしかありませんでしたが、話しを聞いていて俄然興味が沸いてきました。たとえ、収入にならなくてもそこからまた違う別のプロジェクトに繋がったりしてますよね? 長尾さんは常に精力的に動いているというイメージですし、ベルリンで知り合った時点ですでに”世界で活躍する日本人アーティスト”という印象でしたが、海外進出のきっかけは何だったんですか?

長尾 最初は、2005年にユニクロのTシャツデザインコンテスト(現”UTGP”)に応募して入選したので、その時のデザインを自分のHPの載せてたんですよ。そうしたら海外のエージェントからコンタクトが来て、そこから年に一度くらい、海外で作品展示をするようになりました。でも一番のきっかけは、2011年にパリで開催された国際的コンペティション「ARTAQ Urban Art Award」に参加したんですが、その時に今でも仲良くしてるスペイン人のストリートアーティストのOKUDAと出会ったんですよ。その当時で彼はすでにプロとして活躍していて、かたや自分はパートタイマーみたいに必要な時だけやってきて、終わったら日本へ帰って仕事に戻るわけですよね。”この差は一体なんなんだ!? 自分も彼のように海外でプロとして活躍したい!”そう思って翌年の2012年にベルリンへ移住しました。 

宮沢 パートタイマー(笑)。でも確かに海外と日本との環境の違いにはカルチャーショックを受けるし、悔しい思いをしますよね。私もベルリンのクラブやヨーロッパの他都市の野外フェスに参加した時”今まで何をしていたんだ!?”と後悔と反省の嵐でした(笑)世界には想像を超える衝撃的なことが山ほどあるんだと実感しました。日本にいた頃はグラフィックデザイナーやイラストレーターの仕事をしてたんですよね? 

長尾 そうですね。僕は地元の名古屋が拠点でしたが、作品を見せに東京に何度も行っていたんです。でも反応は良いけど、何にも形にならなくて、海外の方がすぐに形になったんです。宮沢さんも東京が長かったから分かると思いますが、東京って東京の人たちだけで回してる気がするんです。わざわざ地方の人を引っ張ってこなくても東京にはタレントがいっぱいいるから、一度その枠に入らないと認めてもらえない、そのためにはまずここに住まないといけないって徐々に分かってきたんですよね。でも、当時は東京に住みたくなくて(笑) グラフィックデザイナーとかイラストレーターとかならどこかで働けたかもしれないけど、これがアートってなるともっと大変で狭き門でした。でも今となっては、東京に住まずに日本脱出を目指してよかったと思ってます。

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