第180回 老犬と負け犬

会社に行くフリをして家を出て、少し離れた公園まで歩く。なるべく人目のつかないベンチに座り、時間が過ぎるのをじっと待つ。リストラされそうなんだ、このひとことが妻にどうしても言い出せなくて数ヶ月。ついに先週末で僕はリストラされた。デスクの荷物を抱えて会社を出る僕の姿はどんなに情けなかっただろう。帰る途中で荷物は捨てた。普段通り家に帰るにはこうするしかなかった。

「この公園が気に入ったのかい?」公園に通い出して5日目に突然声をかけられた。驚いて振り返ると、そこにはヨボヨボの老犬がいた。ゆっくりと僕に近づいて来る。ええ、素敵な所ですね、と返事をすると「ブランコに乗せてくれないか」と言う。僕は老犬を抱き上げ、公園の奥にあるブランコに乗せた。昔からのお気に入りの場所なんだろう、老犬は慣れた姿勢に座り直し「ありがとう」と言った。

ブランコを揺らし、揺れが止まるとまたブランコを揺らしながら僕たちはお互いの話をした。飼い主が大好きだったこと、今は隣の家のお婆さんが世話してくれること、もう自分の寿命が長くはないこと。会社のこと、リストラを妻に言い出せないこと、最近よく眠れないこと。誰にも言えなかったことを話すうちに、僕は最後ほとんど嗚咽していた。彼は夕方になっても静かに話を聞いてくれた。

「飼い主が迎えに来たから帰るよ」と言う彼をブランコから降ろした。彼はゆっくりと僕には見えない飼い主の所へ歩いて行く。僕もブランコから立ち上がった。こんなに体が軽くなってる。ふと振り返った老犬に、僕は思わずお辞儀をした。

photo by エリヲ