第5回 兄と弟

には4歳下の弟がいた。その弟と初めて兄弟喧嘩をしたときの事を僕は良く憶えている。

それは地元の夏祭りの時の事。僕は8歳だった。夏休みの終わりをそろそろ感じずにはいられない時期に、毎年祭は開催される。その頃の僕は、それはそれはこの夏祭りを楽しみにしていたものだ。

その中でも今回の夏祭りは僕にとって特別だった。それまではただ羨望の眼差しで見ていた祭り太鼓に、親戚のおじちゃんの推薦のおかげで参加出来ることになったのだ。

祭の何週間も前から古い神社に近所の大人達と一緒に集まり、祭り太鼓を練習していた僕は、早く皆の前で腕前を披露したくてウズウズしていた。

そして祭り太鼓本番当日、いつもより早く目覚めた僕は、家族の前でも一人ハイテンションだった。名前の入った新品のはっぴを着せてもらい、ふんどしをきつく締めた時の高揚感は今でも鮮明に思い出せる。

その時、急に弟が近寄ってきた。その手にはクレヨンが握られている。そして弟は何を思ったか、おもむろに僕が着ていたはっぴにクレヨンを押し付けたのだ。僕の新しいはっぴに引かれた赤い線。

僕は一瞬にして泣きわめいた。烈火の如く。弟に対してこんな感情を持った事が無かったから最初どうしていいか分からなかった。母親にひどく叱られている弟を眺めながら、僕は必死に落書きを消そうと赤い線を何度もこすった。きっと弟はここ最近母親を独り占めしていた僕にちょっかいを出して、皆にかまって欲しかったのだろう。

ようやく泣き止んだ僕は気を取り直して夏祭りに出掛けた。弟は何も言わず付いてきた。いつもより少し離れた距離を保ちつつ、話しかけてくれない兄に戸惑いつつ。

僕は一度も振り返らなかった。いつもは迷子にならないように手をつないで歩くのに。今日は迷子になっちゃえばいいのにって、そう思ってた。でも、なんだかそんな自分の気持が急に悲しくて、涙が止まらなくなった。

その時後ろから「ごめんね、おにいちゃんごめんね」って小さい声が聞こえた。涙を袖で拭きつつ、僕は振り返らないまま弟の手をつかんだ。すると小さいその手も、今日は涙で濡れていた。