第47回 最初と最後のレシピ

マの闘病は2年続いた。日ごとに何もかも忘れていったママ。最後には赤ちゃんの様な笑顔で亡くなった。つい1ヶ月前の事。なんだかまだ信じられない。ママと2人っきりで朝から晩まで過ごす毎日なんて今まで無かったし、喜んだり泣いたり笑ったり怒ったりを繰り返す、とても特別な時間だった。たとえ私のことを「どこかの親切な人」だと思っていたとしても。

異変に気付いたきっかけはお弁当だった。ママに作ってもらったお弁当を開くと、そこには赤い毛糸が敷き詰められていた。私は急いで蓋を閉め、そのまま高校を早退させてもらった。帰ってからママに中身を見せたときの落胆した顔が忘れられない。きっと自分では感じていたけど、私には必死に隠していたんだと思う。医師は若年性アルツハイマーだと言った。とても残酷な診断だった。

半年後に高校を卒業した私はママとの生活を始めた。別居中だったパパはたまに電話をかけて来るだけで、私達に会いに来ることはなかった。闘病中、ママとはよく一緒にフルーツを食べた。中でもよく食べたのはグレープフルーツ。丸ごとのグレープフルーツを、半分は絞ってジュースに、もう半分は果肉をスプーンで食べるのがお気に入り。実は私が小さい頃に初めて作ってあげた料理なのだ。幼稚園から帰って来た私が、風邪で寝込んでいたママの為に、急いでグレープフルーツをカットしてママの寝床に運んで行った時の事を良く憶えている。ママは凄く驚いて、泣きながら私を強く強く抱きしめてくれた。

いつだったか、もう食事もあまり食べなくなっていたママがふと「グレープフルーツが食べたい」と言った。私はいつものようにカットして寝たきりのママに持って行った。するとママはその切り方を見て「娘が初めて作ってくれた時もこの切り方でした。懐かしいわ。どうもありがとう」と嬉しそうに言った。私が「娘さんから切り方を聞いたんですよ」と言うと、ママはもう私の話を聞いてなかった。それでもいい。ママの記憶の中に生きていられるなら。それでいい。