第53回 沈黙のハンバーグ

は地方新聞の片隅で「隠れた名店を探して」という連載を執筆している。学生時代から食べ歩きが趣味だった僕にとっては念願が叶った連載だ。これまでに数百件は取材したと思う。毎日ランチは2カ所で食べる。これは絶対だ。取材のために夕飯も外食していた時期もあるが、みるみる太っていく腹を見かねた妻からストップがかかってしまった。だから一日の食事はランチのみ。もうすっかり慣れてしまったが。

「人気店」と「隠れた名店」は近いようで全く違うものだ。隠れた名店の条件は何と言っても個性的な店主だと言えるだろう。味はもちろんだが、その店主に会いに行きたくなってしまう魅力が必要不可欠だ。とある洋食屋さんはその中でも特に強く印象に残っている。そこの店主は耳が聞こえないし、言葉も話せないという噂だった。そのためか、出来るだけ簡略化されたメニューはデミグラスハンバーグの1種類だけ。頑固そうな店主は、入って来たお客さんの人数を見てさっさとハンバーグを捏ね始める。BGMも無く、もの静かな店内には調理する音だけが響く。その完璧なまでのリズミカルさが心地いい。

近くにいた常連さんに話を聞いてみると、子供の頃からこの店に通っているという。驚いた事にその頃は他のメニューもあったし、寡黙だが店主も普通に喋っていたらしい。いつからか耳が聞こえないし、話も出来ないという事になっていたと。あまりにも無愛想すぎて勝手にそんな噂が広まったんじゃないか、と笑いながら話してくれた。「この会話も聞こえてるかもしれないですね」と言いながらふと店主を見ると、すぐに目を逸らされてしまった。なるほど。まさに隠れた名店にふさわしい店主だ。こみ上げてくる可笑しさと共に食べるハンバーグはそれはもう格別だった。今では僕もすっかり常連として、彼の秘密を守っている。