2009年

▼80KIDZが2009年にリリースした作品

『THIS IS MY SHIT』(2009.04.15)
『THIS IS MY WORKS 01』(2009.12.16)

▼80KIDZが選ぶ2009年を象徴する自分たちの楽曲

ALI&:She
JUN:Miss Mars

▼80KIDZが選ぶ2009年を象徴する他のアーティストの楽曲

ALI&:MSTRKRFT / Heartbreaker feat. John Legend
JUN:The Big Pink / Dominos | Juan Maclean / Happy House

——2009年は1stアルバムの『THIS IS MY SHIT』をリリースしますよね。これは日本のインディ・レーベルからリリースされたダンス・ミュージックのアルバムとしては、破格のヒットを記録しました。世間的には、間違いなく初期80KIDZの代表作だと思います。で、その中から選んでくれた曲はALi&くんが“She”で、JUNくんは“Miss Mars”。2人はそれぞれ、どうしてこの曲を選んだんですか?

ALI& このアルバムでは歌モノを入れようと最初から思っていたんですよ。

——前年のEPはインストのトラックのみだったので、そこから一歩先へと進んだ挑戦として、このアルバムにはヴォーカル曲が幾つか入っていますよね。

ALI& それで作ったのが“She”で。ポップスの要素も初めてちゃんと入れた曲で、しっかりと評価されたという手応えがあったんですよね。

JUN “Miss Mars”はベースにディスコっぽさがある曲で。エレクトロではあるんですけど、音が激し過ぎないから、幅広く受け入れられた感じがします。あとになって、この曲は〈キツネ(Kitsuné)〉のコンピ『キツネ・メゾン』にも収録されたんですよ。

ALI& この年はエアロプレーン(Aeroplane)とか、ニュー・ディスコの前触れみたいなものが多かったじゃないですか。今振り返ると、“Miss Mars”は当時のトレンドにすごくフィットした曲だと思います。

——ああ、確かにそうですね。

JUN エアロプレーンのマンスリー・チャートにも、この曲は入れてもらったんですよね。で、その後にリリースされた、フレンドリー・ファイアーズ(Friendly Fires)“Paris”のエアロプレーン・リミックスが、これに似てるなって(笑)。

——(笑)。それはつまり、海外の気鋭のプロデューサーたちとも同じ方向を向いていた、世界と共振している部分が強かった、ということでもありますよね。

JUN この時はゾーンに入っていたっていうか、リミックスをやっても、アレンジが全部フィットしたんですよ。時代の求めている音と自分がやるアレンジがすごく合うな、っていう感覚はありましたね。

Friendly Fires – ‘Paris’

——〈キツネ〉やエアロプレーンみたいな海外からの反応もそうですし、日本でもアルバムがヒットして、デビューから一年で自分たちを取り巻く状況が大きく変わったという実感はありましたか?

ALI& めっちゃありましたね。この時は、ロンドンに行ってBBCに出演したりとか。出演した海外のイベントで、自分たちが好きなビッグ・ピンク(The Big Pink)みたいなアーティストと並んで、80KIDZの名前があったりとか。「あ、こんなに変わるんだな」って。この年を象徴する曲として選んだマスタークラフト(MSTRKRFT)の“Heartbreaker”は、BBCに行った時にロビーでかかってた曲なんです。

JUN あの曲はピアノが入っていたりして、ちょっと80KIDZに近いものを感じたり。

ALI& 「この曲、80KIDZみたいじゃない?」って二人で言っていたよね?

MSTRKRFT ft. John Legend – Heartbreaker (Official Video)

——この年に二人が選んでくれた曲は、マスタークラフトみたいに海外での記憶と結びついているものが多いんですか?

JUN そうですね。ユアン・マクリーン(Juan Maclean)もフランスのフェスに出た時に観て、すごくよかった記憶があって。

ALI& 当時はいろんな人のライブを観て、お客さんがどういったところで、どういった反応をするんだろうとか、めっちゃ見ていました。僕らは2008年からライブを始めて、まだ全然やり方もわかっていなかったから、海外の現場で学ぼうとしていましたね。

——ライブを始めたばっかりでいきなり海外に行ったり、本当に猛スピードで物事が進んでいたんですね。

JUN 結構、しごかれたよね?

ALI& そうそう。それで、「お前ら、ライブがいまいちだ」とか言われたりして(笑)。本当にいろんなことを言われて、何が何だかわからないから、ひたすら他のアーティストたちのライブを観ていました。

——なるほど。

ALI& この時は、自分がやっている仕事の規模感が把握できなくて、リアクションも把握できていなくて。レーベルの人から、「アルバムが初週で何万枚売れたよ」とか言われても、全く実感がなくて。だから余計に、この時は自分たちが実際にロンドンとかフランスで観たもの、そこで感じたことをめっちゃ信用していました。メディアを通してじゃなくて、自分の目で見ているから。でも逆に、視野が狭くなっていた部分もあると思うんですけど。この年は他にはどんなのがあったんですか?

——ダーティー・プロジェクターズ(Dirty Projectors)やグリズリー・ベア(Grizzly Bear)が代表作を出した年で、いわゆる『ピッチフォーク』的なUSインディの黄金期もありますよね。ウォッシュト・アウト(Washed Out)もデビューして、チルウェイヴが始まった年でもあります。と同時に、ブラック・アイド・ピーズ(The Black Eyed Peas)とかもエレクトロを取り入れ出して、エレクトロのメインストリーム化が良くも悪くも進み始めた年でもあったり。

JUN その後の時代の流れが見えてきますね。EDMに行く流れが。

ALI& その序章が始まってたと。

——だからこそ、『THIS IS MY SHIT』ではエレクトロをやりながらも、「エレクトロの次にどこへ行こうか?」という感覚が滲んでいる曲が多かったですよね。

ALI& ああ、それはすごく考えてましたね。だから、この年から2010年にかけて、制作をすごく勉強していたと思います。

——あと、80KIDZの歴史としては、この年の最後にMAYUちゃんが辞めたんですよね。

ALI& そうですね。でも、それでJUNくんとは前よりも仲良くなった気がします。2008年は制作を一緒にやった曲ってそんなになかったんですけど、2009年からは完全に二人でやるようになっていたんで。JUNくんと出会ったのは2007年なんですけど、今の二人の距離感を確立できたのが2009年だと思っています。

JUN 世間的な見え方としては、女の子のメンバーがいた方がキャッチーさはあったと思うんですよ。実際、女の子がいてかわいい、っていう捉え方のファンは何パーセントか減ったでしょうし。

ALI&
 ショックでしたね。MAYUちゃんの脱退の発表をしたら、「MAYUちゃんがいないんだったら、もういいわ」みたいなコメントも来ましたから。

——でも、そのぶん、80KIDZの音楽が好きだっていうファンが残ってくれたんだから、結果的にはよかったんじゃないですか?

JUN まあ、活動も忙しくなってきましたし、ミュージシャンとして腹を括って、二人で歩むことを決めた年でもありますね。

2010年

▼80KIDZが2010年にリリースした作品

『VOICE EP』(2010.02.10)
『SPOILED BOY』(2010.6.23)
『WEEKEND WARROR』(2010.10.20)

▼80KIDZが選ぶ2010年を象徴する自分たちの楽曲

ALI&:Weekend Warrior
JUN: Spoiled Boy feat. Lovefoxxx

▼80KIDZが選ぶ2010年を象徴する他のアーティストの楽曲

ALI&:Chilly Gonzales / Knight Moves
JUN:Toro y Moi / Minors

——2010年は怒涛のリリース量ですね。EPを2枚出して、その後にセカンド・アルバム『WEEKEND WARROR』もリリースしています。

ALI& この年は、DJで初めて全国ツアーもしたんですよ。

JUN 25ヶ所くらい行ったよね?

ALI& そうだね。全会場、パンパンでした。このタイミングで、日本でも自分たちの名前が浸透してきた実感がありましたね。

JUN いろんなクラブで動員記録を塗り替えたみたいです。もう会場の空気が薄くて、煙草に火が点かないとか、そんなこともよくありましたね。

——初期の頃は、日本の一部の耳が早い人たちとか、海外での反応はすぐに感じられたけど、2010年くらいになると、日本でも全国規模で人気が広がったのが実感できるようになった。

ALI& そうですね。

——そういった状況下で、当時はどんなヴィジョンで楽曲を作っていたのでしょうか?

ALI& 『WEEKEND WARROR』は完全に脱エレクトロですよね。

JUN あとは、ライブでドラムが入るようになって、バンド感が強くなったから、それに合う曲を作りたいと考えていました。“Nautilas”とかはそうですね。

ALI& MAYUちゃんが抜けて、80KIDZが二人になってから、バンドにドラムが入ったんですよ。わかりやすくいうと、ソウルワックス・ナイトヴァージョンっぽくしていこう、って。

——当時はソウルワックス(Soulwax)がエレクトロ以降のサウンドをバンド形式に落とし込もうとしていたんですよね。80KIDZもそこに共振していたところがあった。

ALI& そうです。

——この年は、まず『VOICE EP』を出しましたけど、これに収録されている“Vexed”なんかは、ブリアル(Burial)を筆頭としたポスト・ダブステップの影響がありましたよね。で、次の『SPOILED BOY』はCSSのラヴフォックス(Lovefoxxx)をフィーチャーしたポップなボーカル・トラック。最後に送り出された『WEEKEND WARROR』は全編インストのダンス・トラック集でもあり、バンドでの演奏も意識した作りになっていました。この一年の間に、80KIDZとして作ろうとしていたものは、どんどん変わっていったのでしょうか?

ALI& JUNくんは結構フラットでしたね。でも、僕はこの年はめっちゃ悩んでいて。自分にとっては、いまだに「よくわからない年」っていう印象なんですよ。だから、JUNくんの方が客観的に見れる気がします。

JUN 脱エレクトロっていうのは、確かに強かったですね。で、硬派にインストにこだわっていて。

ALI& そう、だからアルバムには“SPOILED BOY”を入れないという大失態も犯して(笑)。

JUN 尖がってたんだね(笑)。

——当時はアルバムにはボーカル・トラックは入れないという強い意志がありましたけど、今振り返ると“SPOILED BOY”は入れてもよかった?

ALI& そしたら、この曲の知名度はもっと上がっていたかなって。自分としては、2010年までの段階で、一番うまく作れたボーカル・トラックがこれだと思いますし。今振り返ると、ラヴフォックスみたいな才能あるアーティストに参加してもらって、ちゃんと80KIDZの色を出して、しかも、この年らしいサウンドで作れたな、って感じます。

——間違いなく、“SPOILED BOY”は80KIDZを代表する名曲のひとつですよね。

JUN でも、当時はALI&くんが「絶対にアルバムには入れたくない」って言ってたんだよね。

ALI&
 そう、この時は、尖がり具合がピークだった(笑)。

——当時はすごい勢いで人気になっていったから、その反動もあったんでしょうね。

ALI& そうだと思います。

——この年の曲として挙げてくれたゴンザレス(Chilly Gonzales)とトロ・イ・モア(Toro y Moi)は、当時のどういったモードを反映しているんですか?

ALI& アルバムをリリースした直後にDIESEL:U:MUSICのイベントに出るために、ロンドンに一ヶ月くらいいたんですよ。その時に、上の階でゴンザレスがライブをやっていたんですよね。時間が被っていて観られなかったんですけど、後で改めて音源を聴いたみたら、すごくかっこいいなって。

JUN トロ・イ・モアはこの時期によく聴いていたんですよね。別名義でダンス・ミュージックも作っていて、いまだに好きですし。

——トロ・イ・モアはウォッシュト・アウトと並ぶチルウェイヴの代表格とされていましたけど、ちょうどこの年にチルウェイヴが本格的に注目され始めましたよね。

JUN そうですね。

——この年はチルウェイヴも流行っていましたし、クラブ・ミュージックではジェイムス・ブレイク(James Blake)やマグネティック・マン(Magnetic Man)が出てきて、ポスト・ダブステップが注目されていました。当時の音楽シーンの流行と自分たちが作る音楽との接点というのは、どのように考えていましたか?

ALI& 当時はトレンドをめちゃくちゃ意識していました。特にリミックスはすぐにトレンドを取り入れていて。ダブステップは2人ともいいなと思っていましたし、UKガラージも聴いてきましたし。UKのダンス・ミュージックにどハマりしていて、もうエレクトロは全然聴いていなかったですね。

JUN ポスト・ダブステップは、僕の中ではインディ感を感じられる音楽で、すごく面白くて。

ALI& さっきも言ったみたいに、2010年はDJツアーで全国を回っていたから、トラックものをめちゃくちゃ聴いていたっていうのもあります。DJで使う曲を毎回変えたいので。

——でも、そういった影響はリミックスだけではなく、『WEEKEND WARROR』にも出していたと思いますか?

ALI& 出していないですね(笑)。何曲かはあるかもしれないですけど。

JUN でも、作品の幅を広げたいと思っていた時期だったので、いろんな音にトライしていました。当時は今ほど情報が簡単に手に入らなかったというか、今の若い子たちは器用にすぐ今っぽい音が作れると思うんですけど、僕らは結構探り探りで、「UKっぽい音はどうやったらできるのかな?」ってやっていたんですよね。「(ダブステップの特徴である)ウォブル・ベースはどうやったら出せるんだろう?」とか。で、たぶん、全然間違った方法でやってるんですけど(笑)、それが80KIDZらしい面白い音になっていたっていうのはあるかもしれないですね。

ALI& この後に活きてくる器用さ、技術を手に入れたのはこの時期だと思います。僕も今までのままでは駄目だから、作り方を変えよう、もっと勉強しなきゃ、って考えていましたし。

——いろいろと試行錯誤して、技術面も含め、その後の80KIDZの土台ができたのが2010年だったと。

ALI& そうですね。あとはアップデートしていくだけ、という感じだったので。

——そういう意味では、このアルバムは自分たちにとって重要な作品だと感じますか?

ALI& 重要ですし、ここから聴き始めて、今も聴き続けてくれているファンはかなり多いと思います。『THIS IS MY SHIT』は売り上げがすごかったんですけど、そのぶんライトなファンも多かったんですよ。今も僕らを支えてくれていて、今回のクラウドファンディングを支えてくれているのも、この時期からのファンが一番多いんじゃないかな、というのが僕の印象です。