嘘をつきたくないし。常にそれしか持ってないんだから、それを魅せるしかない

孤高のBRAHMAN、その20年をTOSHI-LOWが語る interview150629_brahman02

ーーあとは、明らかに震災以前と以後では歌の響き方が変わりました。BRAHMANの姿勢や態度、本質は変わってないんだけど、逆に周りのその曲の捉え方、受け止め方が変わってきたというか。

常にその含みは持たせて作ってきてたからね。厳しいことを歌ってても必ず、どの曲もその裏側を持たせていたし。表も裏も必ずある。そこを震災以降、読み取ってもらえるようになったんじゃないかな。いや、俺の方も、“きっとみんな分かってくれないだろう”と片づけていたし、その方が断然楽だったからね。だけど、本当は分かってもらいたいところは裏側にもたくさんあって。それが震災以降、気づいてもらえるようになった。こっちも全部キチンと見せることで、みなさんも360度全部自分たちを見てくれるようになった。そこで過去の曲も、“意外と側面だけを歌ってたんじゃなかったんだな……”と気づいてもらえるようになったんじゃないかな。

ーーそれを迎合なく自分たちのスタイルで伝え通していたのが凄い。

分からせようとして作るものほどつまらないものはないから。意図的に分かりやすくしたり、あざとい方法って、結局その正解にしか導かれない。だけど、自分が自分で考えてその答えに辿り着くのが本当の正解だと自分では思っていて。結局は正解も間違いもないんだけど。本当の意味で自発的に知ってもらう。そこが重要なんだよ。

ーー分かります。だけど、それって不器用が故に貫ける美学です。

自分は常に、ずっとバンドを始めた頃の自分と対話をしているような気がしていて。常に“若い時の自分に後めたい活動はしていないか?”と問う自分がいる。それはいわゆる当時の俺が今の俺を見て、“俺はそんなのをやりたくてバンドを始めたんじゃない!!”と愛想つかされるんじゃないかって怖さでもあって。そこに説明を付けられなかった自分も時々いるし。そういったものとずっと葛藤したり、対峙してきたと思う。嘘つきたくないし。常にそれしか持ってないんだから、それを見せるしかない。そんな気持ちでずっとやってますよ。

映画『ブラフマン』は、主演こそ自分たちだけど、映画は監督箭内道彦のもの

ーーここからは映画『ブラフマン』の話に。かなりみなさんの本質を浮き彫りにしたり、浮かび上がらせる内容に驚きました。

実は俺、忙しくて試写会にも行けず、まだこの映画観てないんだよね (笑)。まっ、映画って監督のものだから。これは俺たちの名前がついて、主演もしてるけど、基本、箭内道彦の映画。その箭内道彦が人間を撮った結果こうなった。ただそれだけ。

ーーちなみに、この映画化の経緯は?

人生初監督作品らしかったんだけど、なんか撮りたくなさそうだったよ(笑)。だけど、俺たちも色々と貸しがあったし。それで断れずになんとなく。自分たち的にも必要性が無かったし、箭内にも必然性がなかった。そんな中、撮り始めた作品(笑)。

ーー始める前に何かプロット的なものが告げられたりは?

何もなかった。最初もだけど、中盤で、“どうなっていくの?”って訊いても、「自分でも分からない」って(笑)。

ーー最初にイメージしていたプロットとはまた違ったドラマの方にフォーカスがシフトしていった感があります。それに伴って主題歌の響き方が変わっていったのも面白かったです。

主題歌も結局は同じ土俵でやってますからね。台本があれば、そこに向けて何か浮かんでもきたんだろうけど、とにかく最後まで何もなかったから(笑)。何にもない同士が何にもないところから、少しずつ想像をしたり、裏や先を考えたりしながら、相手がこんなことを求めているのか? を想像しいしい作っていった。そんな映画。悪い意味じゃなく、腹の探り合い、牽制のし合いで、曲も映画も完成していったから。だけど、それってお互いが近い距離や間柄、相手を信頼したり、信用しないと出来ないからね。

ーーお互いの引き出しの開け合いですもんね。

お互い開けても何も入ってない引き出しばっかりだったけど(笑)。何にもないものがある、その事実だけでも良かった。何にもなければ、その分、欲をかかなくていいし。何かをしなくちゃいけない、とかプレッシャーもない。ましてやこねくり回して作る必然性もないからね。

ーー早く観たいですか?

いや、全然。人から感想聞いている方が面白い(笑)。

▼映画『ブラフマン』予告編

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