1stアルバム『Landscape of Smaller’s Music』から12年、長きに渡る沈黙を破り、神田朋樹が2ndアルバム『Interstellar Interlude』をリリースする。今作のリリース元となっているのは、〈Crue-L Records〉。神田にとって1stアルバムをリリースした、いわばホームタウンであり、先日QeticにおけるAndrew Weatherallとの対談も記憶に新しい、瀧見憲司が主宰する名門レーベルである。今年の〈Crue-L Records〉において、神田はレーベルのコンピレーションアルバム『Crue-L Cafe』への参加にはじまり、瀧見とのアブストラクト・ディスコ・ユニット、Being Boringsの1stアルバム『ESPRIT』を経て、いよいよ自身の2ndアルバムのリリースを迎えることになった。レーベルの2012年の総仕上げを飾る存在といっても、決して大袈裟ではない。

今作『Interstellar Interlude』は、エレクトロニクスミュージックを基盤としているが、神田が敬愛するソウルやAOR、アコースティック、ソフトロックなどの要素が取り入れられたことによって、アルバム全体として有機的な響きを帯びている。さらにはカバー曲として、Tears For Fearsの“Everybody Wants To Rule The World”を収録しており、非常に広い入口の作品に仕上がった。また「Instruments Played, Produced & Mixed by Tomoki Kanda」と綴られたクレジットから分かるように、神田は自身の中で多岐にわたる役割をこなしている。Port Of Notes、おおはた雄一、カヒミ・カリィ、坂本美雨らの作品に関わるプロデューサー、ソングライター、ある時は、ギターを中心に複数の楽器を操るマルチプレイヤー、さらには極上の音に仕上げるミックス、マスタリングエンジニアとして、彼は前作のリリース以降、様々な立場の裏方仕事を通じて音楽に関わってきた。言うまでもなく『Interstellar Interlude』には、神田朋樹の12年間が凝縮されているのだ。ミュージックマイスターとして進化を遂げ、ミュージシャンとしてカムバックを果たした神田に、自身が過ごしてきた12年間と今作にまつわるエピソードを語ってもらった。

Interview:Tomoki Kanda

――神田さんは今作『Interstellar Interlude』が12年ぶりの2ndアルバムとなりますが、まずは単独作品としてのリリースが12年も空いてしまった理由から聞かせていただけますか?

〈Crue-L〉から12年前に1stアルバム(『Landscape of Smaller’s Music』)を出して、はじめは数年後の早いうちには次のアルバムを出すつもりでいたんだけど、2000年代後半になってCDが 売れないだの、段々当時とは状況が変わってきて。自分がやっている音楽もメジャーじゃなく、たぶんインディーなんだろうなと思っていたんですね。「こういうものを今出せるのか?出せるならば、どういうクオリティなのか?」ということを深く考えている時期があって。それを大雑把に言ってしまうと、アルバムを出すタイミングがなかったっていうことだったと思うんです。

――曲自体はリリースありきで作っていたのですか?

ありきの時もありました。ちょうど僕が1stア ルバムをリリースした頃は、完全コンピューターでもなかったし、もうちょっと自由に制作できる環境を求める中で、メジャーから話をもらうことがあって、メジャーでやろうかなとも思ったんだけど、仮に前と同じものを作ったとして、彼らがどうやって売ってくれるのかと考えたら、状況が悪くなっているわけじゃないですか。その時に自分の中で、「よし、リリースしよう」という気にはなれなかったんですよ。それには作品の質とかも関わると思うんだけど、そもそもは、あまり「やってやるぞ」という気には乗れなかったっていう。それからどういう風に折り合いをつけてきたかというと、企画みたいなものをやったり、プロデュースという形で作品に関わったり。要するに、自分名義の作品のリリースを避けてきたんですね。

――なかなか単独作品をリリースするモチベーションが上がらなかったと。

なぜこのタイミングで出すことになったかというと、ここ3、4年のことなんですよ。また瀧見さん(瀧見憲司、〈Crue-L Records〉代表)とBeing Boringsだったり、その前のリミックスだったり、一緒に音楽を作るようになって。それで去年の秋頃『Crue-L Cafe』というコンピレーションを作る時に、瀧見さんから「何か1曲ない?」って言われたんです。それで持ってきた曲が“Ride A Watersmooth Silver Stallion”なんですね。あれは2006、2007年ぐらいに大体出来た曲なんだけど、僕が当時いた事務所のスタジオで作ったから、宅録で作った曲ではなくて、瀧見さんはそれを気に入ってくれて、「こういう路線で1枚のアルバムにしたらいいんじゃない?」って言ってくれたんですよ。今まで人に「出さないの?」って聞かれる度に、面倒くさいから「もう出さないよ」って答えてきたんだけど、そこではじめて「あぁ、出せるかもな」と思えて、それから半年で出来たっていう。

――12年前の1stアルバムと比べて、ご自身としてはどんな変化があると捉えていますか?

あまり力を入れ過ぎると作品が出来なくなるということを繰り返してきたので、ちょっと力を抜くというか、苦しんで作るのではなく、わりと楽しみながら作って出来た曲が集まったという感じがしますね。「これは面白いから入れよう」と楽しみながら作ることに比重を置いていたというか、あまり深みに陥らない ように。気付けば無駄なことも多いし、そういうことはもうやめようと。前作から12年空きましたけど、実質、半年ぐらいで作ったアルバムなんですよ。中には10年前の曲や4、5年前の曲も入っていますけど、その他は去年Being Boringsのアルバムを作っていた合間に作ったというか。

――1stアルバムは、どちらかというと苦しんで生み出された作品なんですか?

楽しんで作っていたけれども、当時は完全にコンピューターではなかったから、ちょっとしたところを徹夜して直すような作業をずっとやっていましたね(笑)。〈Crue-L〉のスタジオとかを使って、デジタルのテープを回していたし、当時は一曲だけを立ち上げるのに何十分も掛かったわけですよ。今だったらコンピューター一発で出るからいくらでもやれるし、もしかしたら、そういう意味では今の方が費やせる時間はあるんだろうけど、あまり深追いしないというか。あとは今年に入って、コンピューターがクラッシュしました(笑)。それはいいきっかけでしたね、もう弄りようがないっていう。一応データは、ちょっと前のOSとプラグインを揃えていけば完全復活できるんだけど、もう面倒くさくなって、いいやと。

――何人かクラッシュした方を取材しましたけど、皆さん、「すっきりした」って言っていましたね。

「よし、これでいこう」という感じになりますよね。クラッシュした時点でもう曲は出来ていて、あとは並べるだけの段階だったから。今回はほぼ宅録だったんです。マスタリングも基本は家でやるんですけど、〈Crue-L〉のスタジオに使いたいプラグインがあるので、それを使うために来たりして、それで一枚CD-Rを作って、また何日か家で聴いて、もう一回スタジオに戻ってくるみたいな。ほとんど何も変わってないんだけど、それを何ヶ月もやってましたね(笑)。あと猫を二匹飼っていたんだけど、2月に一匹死んで、3月にもう一匹死んでしまったんですよ。それから4月にPCがクラッシュした気がしますね。

――公私ともに色んなことが重なってしまったんですね。

だからある意味、節目になったというか。

――なるほど。ここからはアルバムの中身について伺っていきたいのですが、1曲目の“Open Your Eyes”から“The Knight With Birds”まで、タイトルから森羅万象様々な風景を連想させる曲名が立ち並んでいますよね。

そうですね。ずっとリピートできる構造のアルバムを作ろうと思ったんですよ。一時期は“Open Your Eyes”が最後になっていることもありましたね。

――全体的な曲のテイストでいうと、エレクトロニクスミュージックですが、ソウルやアコースティックの要素も入っていて、有機的な響きを感じるんですね。「リピートできる構造のアルバム」に対して、音楽的にはどんなアルバムをイメージしていたんですか?

自分で聴きながら振り返ってみたんですけど、曲作りでいうと、まずソウルミュージックで構成されてますね。マーヴィン・ゲイとかニューソウルのコード 進行であったり、テリー・キャリアーみたいなブルースというかフォークみたいなものだったりですね。あとはホワイトソウルだと、クリス・レアのようなAORだったり、プリファブ・スプラウト、トーマス・ドルビー辺りの音像というか。あとはソウルでいうと、シュギー・オーティス。初期ラフ・トレードとかでもウィー ク・エンドとかが使っていた温かいリズムボックスの使い方だったり。ロックでいうと、スティーヴ・ミラー・バンドの“フライ・ライク・アン・イーグル”の浮遊感というか、多幸感みたいなものがありますね。

――いま挙がった固有名詞は神田さんの核に近い音楽ですか?

まさにそうですね。アルバムの構成に関しては、初期ケヴィン・エアーズ、ミレニウム、チャド・アンド・ジェレミーとか、60年代のテープでコラージュするような、一曲の中にだまし絵みたいなものを意識していて、深追いしないというのはアーサー・ラッセル的感覚というか。これでピンときた人は是非聴いてもらいたいなと。