――1曲だけカバー曲として“Everybody Wants To Rule The World”を選曲していますよね。

これって実は、アルバムが7,8割進んだところで、瀧見さんから「カバーやってみれば?」という話があったんですよ。

――シンプルなアコギのインストですよね。

そうですね。瀧見さんは「聴いてもらうための入口になるよ」って提案してくれたんだけど、最初は「うーん…」と思った(笑)。でも「一人でやってると、そういう発想にならないな」と思って、実際にやってみたら、これはこれでいいなと。たぶん瀧見さんは、僕がもうちょっと変えてくると思っただろうけど、そのまま弾き語りでやって。音像的にもそこまでいじってないですね。

――プレイヤーとしての神田さんのニュアンスも入っていますよね。今作では全ての楽器の演奏を神田さんが手掛けていますが、ご自身の核となる楽器って何でしょう?

やっぱりギターですね。でも、プロみたいに弾けるわけじゃないので、作曲のツールという感じかな。翻訳機というか、パレットみたいな感覚で使っていま すね。今回のアルバムもギターメインで、鍵盤はあまり弾けないので打ち込むことになるんですけど、演奏しているものもあれば、ほとんど演奏していないものもありますね。その辺は厨房の感覚というか、ざっくりしているんですよ。自分の手作りのものでなければいけないという気持ちはありませんね。

――それはどうしてですか?

そこにこだわると、また出来なくなってしまうから。もっと軽い気持ちというか、いい加減に作っているわけじゃなく(笑)。あと、少しイレギュラーとい うか、もし教科書通りの作り方があったとするならば、出来ればそれは外れていきたいなと。その方が面白い聴こえ方になると思いますし。

――アディショナルプレイヤーとして、誰かを迎える可能性はなかったんですか?

今回は一人で宅録の時間が多かったので、人を呼ぶという発想がなかったですね。それを億劫がっているのかもしれないけど、例えば〈Crue-L〉の スタジオを使う場合は、瀧見さんがいるじゃないですか。そしたら、誰かを呼ぶという選択肢もあったかもしれない。そうではなく、自分でプログラミングする なり、どこからかサンプルを引っ張り出すなり、工夫して一人でやったという感じで、その場にあるようなもので作ったということですね。色んなエフェクター とかプラグインを集めたりしたけど、やっぱり切りがないし、最新のソフトには大体のものが入っているから。自分で作ったサンプルとかも昔は大事にとってい たけどあまり使わなかったし、PCのクラッシュ以降はそういったストックもやめたというか。

――なるほど。神田さんはこれまでにPort of Notesやカヒミ・カリィさん、坂本美雨さんなど、プロデューサーやコンポーザーとして様々なアーティストに関わってきましたが、今作ではご自身をプロデュースするという視点がありますよね。

それはやっぱり難しいですね。自分の中でプロデューサーという意識はあるけど、そんなに俯瞰できるほどのものではないですよ。パフォーマーといったら語弊があるけど、〈Crue-L〉では僕がプロデューサーということではなくて、やっぱり瀧見憲司というプロデューサーがいるからほとんど口出しはしません。〈Crue-L〉から出せるということは一つ判子をもらえた気持ちがあるというか、あまりセルフプロデュースとかは考えなくて、楽曲の中でのプロデュースというか、レストラ ンに例えると、プロデューサーって支配人じゃないですか。基本的に僕はシェフで、「これとあれを加えてみよう」と料理して、チラッと支配人を見て「あ、大丈夫だ」と思うみたいな。

――厨房を仕切ってはいるんだけど、別で表に立っている人がいるような感覚ですか?

そうそう。僕がやってきたことは職人みたいなものなので、それを発表出来るところがあるというのは幸せだなと思いますね。やっぱり最初に「アルバム作ったらいいんじゃない?」ってきっかけを与えてくれたのが瀧見さんですし、それまではアルバムを作ろうだなんて思ってなかったので。

――今日は瀧見さんもいらっしゃいますし是非、お話を伺いたいですね。神田さんがアルバムを作るにあたって、どんなアドバイスをしたんでしょうか?

瀧見: 自分の名前で出した方がいいとはすごく言ったよね。要するに、今までに神田朋樹名義ではないけど実質は彼の作品というか、女の子一人がヴォーカルでオケは全部神田が作ってるもの(Songs To The Siren『Night On The Planet』09年)とかがあって、彼は一枚目のアルバムを出した後に、そういうものを何枚かやってきた。僕はバンド時代の本当の活動初期の頃から知っているけど、本人としても自分がアーティストやパフォーマーとして表に出るということに対しては、ずっとふんぎりがつかない感じがあって、僕はそれが勿体ないなと思っていたのね。本人に華も実力もあるし、神田朋樹は神田朋樹なんだから、本名でやればいいじゃん、今は変名とかでやらなくてもいいんじゃな いの?っていう。それにプロデューサーと言っても正直、最終的に人に合わせるタイプじゃないというか(笑)。だったら、自分はこうですと広めた方がいいわけで。

(笑)。プロデュースにも色んなパターンがありますよね。完全に任されて、僕がいいと思うようにしてくれと依頼されるオファーが一番楽しいですよ。で も、そればかりに慣れてくると、そういう性質ではないオファーも来るわけじゃないですか。そういう時にまだ若かったりしてフラストレーションを溜めてしまったり、「本人が満足するために作ってあげたいな」となるまでに結構時間が掛かったり。僕の作品と思ってやる時と彼ら彼女らの作品と思って関わる時を、下手くそなりに棲み分けしてきたような気がしますね。こうやって瀧見さんとかと作ることってほとんどなかったし、人の意見を聞いて作っていくことが面白いものだなと思えるようになって。

――お話ししている印象としては、コミュニケーションが苦手な方だとは全然思えなくて。

僕はいま43歳で、当時は20~30代 だったわけですけど、若い頃というのは、どうしても自分のやり方にこだわってしまうんですよね。人と作っていても「本当はこうなんだよな…」って思っている自分をどうコントロールするか、「自分は一人でやらなきゃ無理だよな」っていう時期が結構あって。でも、そうでもないと思えるようになったのが大きいと いうか、「俺がやった方がすごいのに」と思って作ったら、案外大したことがなかったりして(笑)。そんなことがあると、人の意見に耳を傾けてみようかな と、だんだん普通になってきたというか。今回もあまり意見してくれる人はいなかったけど、耳を塞いで作ったものではないですね。ジャケットをデザインして くれた江森丈晃くんとのやりとりも面白かったんですよ。

――花と横たわっている女の子のジャケットですね。

江森くんは僕と同世代の人で、あまり喋った機会はなかったんだけど、音楽をすごく聴いている人で。ガッツリ仲良しじゃないので、なんとなく僕のことを俯瞰してくれているなと思って、お願いしたんですよ。そしたら、見事に僕が思いもしなかったものを作ってくれて。はじめは「これ、どうかな…」と思ってた んだけど、絵を見ながら聴いてたら、最高だなと思うようになってきて、彼なりに音を聴いた感じと僕のイメージとで何が足りないのかをプロデュースしてくれたんだなと思ったんですよね。

――デザインの視点からのプロデュースですね。

そうそう。それで自分の中でアルバムの聴こえ方が変わってきたら、もうちょっと振れ幅じゃないけど、もっとたくさんの人たちに聴いてもらうやり方もあるなと思えたんですよ。別に媚びるとかじゃなしに。自分名義で出すのはまたちょっと違うもんだなと、気楽に作ることでまた変わるというか、リリースは出来るんだったらしていきたいなという気になりました。

――あとは是非ライブで聴いてみたいですね。

ライブでの再現は難しいですね(笑)。前のアルバムの時もやってないんですよ。前よりも今回の方がやりやすいだろうけど、まあ大変ですね。音先行で 作ったものに対して、ライブというものをほとんどやったことがないし、普通に考えたらシーケンサーを回すっていうことですよね。でもそうなると、言わずもがなというか、ただやってるっていうあまり面白くないことになってしまうなら、何もやらない方がいいかなって。売れたら考えます(笑)。

瀧見: 無理矢理オファーしてみると、やってくれるかもしれないよ(笑)。

text & interview by Shota Kato[CONTRAST]
all photo by Takeaki Emori