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元ピチカート・ファイヴの野宮真貴と、LD&K代表取締役の大谷秀政による対談。野宮真貴は小西康陽、フリッパーズ・ギター、大滝詠一、山下達郎、等の渋谷系とそのルーツの作家たちの夏の名曲をカバーしたアルバム『野宮真貴、ヴァカンスを歌う。』を5月3日(水)リリース。大谷秀政は音楽レーベルや、宇田川カフェ、Café BOHEMIA(ボヘミア)、蕎麦処グレゴリーなどの店舗、シブヤビールなどを手がけている。今回はHMVからはじまった渋谷系や、街の変遷についてかたっている。

ゴールデンウィーク前夜、4月28日(金)は<シブヤの日>。東急東横店・フードショー シブヤSTANDにて、2,000円以上購入者先着100名に、「シブヤビール」という渋谷のご当地クラフトビールが1本プレゼントされた。また東急本店の渋谷最大級の屋上ビアガーデンにて、プレミアムビアガーデンもオープン。さらには渋谷・宇田川町を盛り上げる“情熱の夜遊び”シティポップバンド「宇田川別館バンド」による演奏も行われた。

そんな<シブヤの日>を手がけるのがLD&Kの代表大谷秀政氏だ。音楽レーベルや、宇田川カフェ、Café BOHEMIA(ボヘミア)、蕎麦処グレゴリーなどの飲食事業など幅広い事業を手がけている。

今回は渋谷の街を見続けてきた大谷秀政氏と、1990年代に流行した「渋谷系」の中心人物、元ピチカート・ファイヴの野宮真貴氏との対談を敢行。

20年以上に渡り渋谷を活動の場としてきたお二人に、それぞれの活動から、渋谷HMVからはじまった「渋谷系」について思うこと、渋谷という街の変遷とその面白さ、渋谷の未来について等様々なお話を伺った。

text by Qetic・田中莉菜

Interview:野宮真貴×大谷秀政

元祖 “渋谷系”野宮真貴×LD&K大谷秀政、渋谷という街の変遷と宇田川カフェのこれから in170429_udagawacafe9-700x467

なぜ、渋谷だったのか

——まずは現在に至る渋谷の20年を簡単で良いので教えて頂けますか。

野宮真貴(以下、野宮) 20年ってことは……。

大谷秀政(以下、大谷) うち、会社がもう27年くらい渋谷で。お店やる前にちょうど仲くん(〈エスカレーター・レコーズ〉)とかと同じ時代に、〈LD&K〉っていうレコードレーベルを始めました。

野宮 じゃあ渋谷系の時代ですね。

大谷 渋谷系っていうか、微妙ですね、Cymbals(シンバルズ)とかは所属してましたけど、つじあやのとか。

——お二人の接点はお仕事では特にはないんですか?

大谷 特にはないですね。(野宮さんが)先輩ですからね。

——大谷さんは渋谷で起業されて、事務所もお店もって感じですけど。野宮さんの場合は渋谷に関する思い出っていうと何がありますか。

野宮 渋谷系と言われていた90年代は実際事務所も渋谷にありましたし、当時は渋谷で一番売れていった渋谷系というムーブメントの真っ只中にいましたから、特別な場所ですね。

——なんで渋谷だったのでしょうか。野宮さんの場合は事務所があったってことですよね。

野宮 事務所もありましたし、HMVが渋谷系の火付け役になったこと。それから、レコード屋さんやライブハウスもたくさんありましたし。あとファッションの街でもありましたよね。

——私は当時東京にまだ住んでなかったのですごく漠然としてるんですけど、どういう感じだったんですか? 90年代って。

大谷 レコード屋さんが多くて、基本的にあの当時渋谷系って言われていた人たちっていうのは、自らがコレクターの人たち、いわゆるオタクみたいな人たちでした。レコード屋さんから交流ができて、塊になってというかたちなんじゃないですかね。

野宮 当時は女子高生がレコードを「かわいい!」って、雑貨感覚で買う、そういう時代でした。

——そういう場所で大谷さんは仕事自体を始められたわけじゃないですか。で、今もずっと。渋谷の面白さってなんなんでしょう。

大谷 渋谷が面白いのかどうかはわからないんですけど(笑)。いや渋谷は面白いですよ、ずっと変わらないですし。僕がお店をつくり始めたのは音楽事務所を10年くらいやってからなんですけど、自分が働いている場所にビシッと濃いコーヒー屋さんがないなと思って。あと打ち上げも、クアトロで打ち上げやった後に、あまりないんですよ。初の宇田川カフェっていうのがクアトロの真横だったんですけど、クアトロのブッキングの人間と、ちょっと打ち上げができるくらいのちょうどいい広さのカフェ作るから、ここで打ち上げやろうよっていう話になって。

——飲むところが意外となかったってことですよね。

大谷 あとみんな移動が遅いんですよ(笑)。打ち上げでダラダラダラダラ会場にいて、いっぺんに来ないんで。隣にあれば安心じゃないですか、隣って言っておけばいいので。うちのバンドもちょうどクアトロでやるような人たちが多かったんで、自分たちの打ち上げ会場つくるためにやったようなもんですよね、最初。

——野宮さんはライブの後打ち上げってどこだったっていう印象はありますか?

野宮 80年代、ピチカート・ファイヴに入る前の20代の頃はバンド仲間でお金もなかったので、渋谷だと「いろはにほへと」っていう居酒屋でよくやってましたね。ピチカートでは、もう30代で大人だったので、西麻布あたりに移動していたかな?

元祖 “渋谷系”野宮真貴×LD&K大谷秀政、渋谷という街の変遷と宇田川カフェのこれから in170429_udagawacafe6-700x467

渋谷の若者像とギャルブーム

——大谷さんは渋谷が面白いかどうかわからないとおっしゃってますけど、若者文化というか、そういう象徴的な出来事とか変化とか感じられることってありますか?

大谷 ほかの街にもお店出してるんですけど、渋谷が一番変わらないですよね。品川とかバーとか出したりすると、すごくサブプライムローンの影響受けたりとか如実に出るんですけど、渋谷はほとんど動かないですよね。

——地権者的な……。

大谷 そうですね。あとは若いですよね。ハロウィンとか初詣とか、異常じゃないですか。なんだかんだいって渋谷になるんですよね。

——なんでしょうね、スクランブル交差点に集うって。日韓ワールドカップくらいからですよね。

大谷 ワールドカップくらいからですね。

——渋谷の若者像ってありますか? ご自分も含めて。

野宮 90年代は渋谷系と、一方でギャル文化がありましたよね。やっぱり音楽とファッションの街だから、常に若者が集まるというか。その後、2000年からはどんな感じでしたか?

大谷 実はそんなに変わってないですよね。AXは閉店しちゃって、渋公(渋谷公会堂)も今閉まっちゃってますけど。相対的な問題で渋谷が一番安全なんですよね。新宿・池袋と比べた時に危ない人が少ないじゃないですか、圧倒的に。いいとこでもあり悪いとこでもあるんですけど、画一化された人たちがすごく多いですよね。

——いい面でいうと安全ってことなんですかね。

大谷 安全ですし平和ですし。多分他の場所では「うるせー邪魔だ」っていう人が出てくると思うんですよ、ワールドカップの時もそうですけど。

——野宮さんも知らず知らずのうちに大谷さんのお店に行ってらっしゃるんでしょうね。

大谷 最近ボヘミア(Cafe BOHEMIA)ってところがすごくいいですよ。

——ボヘミアいいですよね、異国情緒が。大谷さんとしてはそういう打ち上げ会場があればいいなっていうのと、しっかりしたコーヒーが飲みたかったっていう……。

大谷 コーヒーが大好きというか、眠いんですよね、僕。ずっと眠いんですよ(笑)。基本的に昼まで寝てるんですけど。眠いから刺激的なことやろうと思うのと、眠いから濃いコーヒーが好きなんですよね。濃いコーヒーって「茶亭 羽當」さんくらいかな? 渋谷で元々出してるのは。他はイマイチで美味しくなくて。神田の方に行けば美味しいお店はありますけどね。ですが、毎回わざわざ行くわけにもいかず、自分のとこで出すかっていうことでオープンしました。とにかく濃いコーヒーが飲みたくて、ビシッと。非常に眠いんですよ。血圧が低いんですよ、すごく。それで無理やり仕事してるっていう(笑)。

——すべて自分発信なわけですよね。

大谷 そう。だから僕も久しぶりに今日港区に来ましたけど、渋谷から出ないんですよね。引きこもりというか、自分のお店とか自分のところで完結できちゃうので。あとクライアントがいないんですよ。自分のレーベルでCD売って、お客さんには自分のお店に来てもらっているので。

——今ビルの上はテラスハウスなんですよね?

大谷 テラスハウスでずっとガーデニングしています。渋谷のLOFTにくっついてる、ちょっと前までFAKE TOKYOって洋服屋さんがあったところを一棟うちの事務所にしてるんですけど。屋上を今庭園にしてて、砂利を運んだりとかしています。あと屋上にバスタブを置いて、バラで囲っています(笑)。

——野宮さんはいかがですか? いわゆる渋谷系の代表と言われることはあっても、渋谷っていう場所自体ではそんなに遊んだりっていうのはなかったですか?

野宮 遊びにも行っていましたけどね。お洋服を買いにいったり、ご飯を食べに行ったりもしましたし。あとは映画館もたくさんありましたし。

大谷 でも渋谷でこれだけやられていると居づらくないですか? 思いっきり顔バレしてるじゃないですか。

野宮 そんなことないですよ。今はみんなスマホしか見ていないですし(笑)。

——いいんだか悪いんだかですね。野宮さんが渋谷で洋服を買われているっていうのは意外です。

野宮 意外かもしれないですけど、ピチカート入ったばっかりの頃はスタイリストもいなかったので、自分でスタイリングしていましたね。実は109に衣装で使えるものがあったりして。ニューヨークやLAの輸入物が入っていたので、たとえば60’s調のフリンジのワンピースが3色揃ったりして、そういうものを買ったり。109のEGOISTから独立して当時MOUSSYをやっていた森本容子ちゃんと仲良くなって交流ができたんですけど、世代は違えどファッションに関しては共通点もあって、色々刺激になりましたね。それから当時私はとても痩せてたので、109には小さいサイズがあるので重宝していました。

——ギャルブームの頃って、安室奈美恵さんくらいの8頭身でガリガリみたいな。そういう時代もありましたね。

大谷 裏原が席巻してる時代もありましたよね。渋谷って日時計みたいに人が移るので。明るい時間はキャットストリート含め原宿側にいて、午後になると公園通り、夕方になると宇田川の方に来て、夜中になると道玄坂に行くっていう。だから早い時間に宇田川町とか道玄坂にきても誰もいないんですけど、原宿側から人が移動してくる。それと、渋谷がしぶといのは代々木公園の存在が大きいんですよね。これからのシーズンは毎週末フェスがずっとあるから、人が向こうまでいくんです。そうするとシャワー効果で人が渋谷まで降りてくるんですよね。道中のPARCOさんが今閉まっているのは残念ですが。Bunkamuraがあって、東急ハンズがあって、渋谷のエッジは東急さんが全部作ってるんですよね。

元祖 “渋谷系”野宮真貴×LD&K大谷秀政、渋谷という街の変遷と宇田川カフェのこれから in170429_udagawacafe8-700x467

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石角友香

石角友香

ライター

大阪府出身。関西版ぴあ編集部で音楽コーナーを担当したのち独立。関西発信の今や幻(?)の音楽/カルチャー誌「MaMAマガジン」編集長を経験。現在は東京在住。音楽ポータルを中心に主に日本のバンド/アーティストのインタビュー、ライブレポート、特集記事の編集・ライティングを行う。音楽以外にも著名人の仕事上の失敗談や仕事観を探る週刊企画の編集や、企業誌なども担当。また、「FUJIROCK EXPRESS」の速報レポートや会場レポートを届けるチームに’13年から参加。10数年 観客として参加していたFUJIROCKを違う角度で体験中。

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