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踊ってばかりの国や思い出野郎Aチーム、DC/PRGの高井康生ソロプロジェクトAhh! Folly Jetらのジャケットやイベントのフライヤーなどを手がけ、今年2月には初の画集『Endless Beginning』を刊行、顔のない女性を描いたモノクロのイラストで注目を集めるオートモアイが、半蔵門・ANAGRAにて個展<THIS CAN’T BE LOVE>を開催する。会期は2018年6月23日(土)から同月30日(土)までの一週間。

詳細は以下よりチェックしよう。

オートモアイ
「THIS CAN’T BE LOVE」

オートモアイはこれまで、表情が描かれない女性像を中心に、多くのドローイングを残してきました。2018年2月に刊行した『Endless Beginning』には300点に及ぶドローイング作品が収められています。

ドローイング作品では1枚の絵の中に同一人物と思われる女性が複数存在し、多種多様な行動や感情を表し、時間軸の存在を示唆しています。

オートモアイが個展「THIS CAN’T BE LOVE」を開催 art_culture180613_auto_moai_2

一人の人物が矛盾や起伏を抱えること、一つの事象は多角的に捉えると異なる見え方があること、そうした事実を事実として描くさまは、情熱的なタッチ、力強い線とは対象に冷静で理知的です。

また、刊行時に開催した展覧会では、画集の内容とは異なる、色彩やレイヤーの豊かなペインティングを発表し、イラストレーションから絵画への展開を見せました。

オートモアイが個展「THIS CAN’T BE LOVE」を開催 art_culture180613_auto_moai_1

明確に無を表す背景と、曖昧に描かれる風景、匿名的な人物像の重なりからなる作品は、現代の都市における自他との関係性を明るみにしています。

写真が「かつてそこに」だけでなく「いまここ」という新しい機能(もしくは側面)を得た今日の現象と要因を同じくし、それは自他の隔離・混迷という、実在する現象が描かれます。

1枚の絵のなかに重なる感情や情景は、物事の明確さや単純さを失った今日の私達そのものかもしれません。これは現代の肖像画と呼べるでしょう。

本展で期待される新作は、これまでのドローイングのように意味深なモチーフが多く登場し、色彩ゆたかに仕上げられています。暴力や死、ロマンスや痛み、愛らしさに付きまとう不平等、これらを同時に、そして等しく鑑賞することは、まるで新しい環境へ身を晒すような鮮度があります。

人類は通信速度と関係性の発展速度も加速させています。変化に気づくこと、多面性を理解することがより重要視されていくなか、オートモアイの絵は排他的な気配を漂わせながらも、すべてを慈しむように受容しています。それは愛が能動から受容へ変化していることを示唆と言えるでしょう。この機会に是非、新しいオートモアイの新作“THIS CAN’T BE LOVE”をご高覧ください。

text by 柴田さやか

展覧会に寄せて、美しさから無へ。

美しさという価値を掲げて万人に語りかけるには、もはや私たちの世界は多様すぎます。言い換えると今日はおそらく、人類の歴史が始まって以降、美しさという価値が最も曖昧な日でしょう。そして明日における美しさは今日よりももっと複雑で曖昧になります。
 
多様とはおそらく、有史以前からそうであったと思われます。残念ながら昨今までそのことを受け入れるキャパシティはあまり無かったように感じます。キャパシティという言葉は大小で語られてしまいがちですが、実際には大きさだけではなく、色とりどりで種類が豊富、時には可変ということに、最近になってようやく寛容で居られるようになってきました。
 
多様性や不確かさだけでなく、未知へ寛容になった今、注目を集め普遍性を共感しあいコミュニケーションを図るツールの主役は、美から無へと変化したように感じます。
 
美しさの定義やルールが、まるで正義のような振る舞いをしていた頃とは異なり、都市における現在の私達はすべてが異なることを受け入れるだけでなく、記号や正義ではなく、ある種の自由や曖昧さを欲しています。
 
オートモアイのドローイングのなか、表情を持たずに生きる彼女たちは、私、もしくはあなたでしょう。そこには何も無く、そこもどこでもない、私自信も誰でもない。という事はつまり、そこに何があっても、どこであっても、誰であっても受け入れられるということです。
 
そのように存在や事実をまるごと受け入れるキャパシティを私は愛と呼べます。そしてそのありさまを描き表すオートモアイの絵画も、何か(もしくは全て)への慈しみであるのではないでしょうか。
 
オートモアイの絵にはナイフやドクロなど、死や孤独、痛みを示唆するモチーフが描かれています。それらはつらいものとして捉えられがちですが、本来はそうではなく、必要悪というわけでもなく、光を見るのに必要な対象の闇でもありません。それはそれとして在り、ときおり個を確かめる役割りも果たします。
 
画家たちは、自らのアトリエの中で孤独に生まれたものが、やがて誰かと、あるいはなにかとつながることができると信じている。つながるために最適なあり方を探している。

(2013『絵画、それを愛と呼ぶことにしよう』p10 保坂健二朗)

今でも私は、誰かが絵を見せることは、つながる事が目的であると考えています。しかし、繋がりそのものの目的、必要性も不明瞭なままです。そんななか、オートモアイの絵にはコミュニケーション欲というものは感じられず、それどころか排他的な印象さえ見受けられます。それは彼女が純粋に観察者としての楽しみ/当事者としての困惑を描いているからかもしれません。彼女は自身の手の中にある箱庭に居て、そしてそれ以外にはあまり関心がないのかもしれません。

しかし、それでも絵描きと絵画と鑑賞者の関係は続き、相互に干渉し続けることでよどみなく循環し、純度が保たれ続けています。

この世界でたった一度しか起こらなかった小さな身じろぎや、一瞬しか保たれなかった小さな感情が積み重なったとき。過去という揺るがない事実に樹立する感情は鋭利に瞬き、センセーショナルな印象を持ち、人々を魅了します。しかしその一点の光に目を奪われてはいけないことを、オートモアイの筆は教えてくれます。

人類は通信速度の加速と同時に、関係性の発展速度も加速させています。同じ時代、同じ街に暮らす私達は、今日のオートモアイの絵に、特別な意味を感じています。おそらく、そう遠くない将来、これらはまた別の意味や役割を持つでしょう。

柴田さやか

参考文献|2013年『絵画、それを愛と呼ぶことにしよう』p10 保坂健二朗 / 2013年『Einmal ist Keinmal』喜多村みか / 2001年『マクルーハン』W・テレンス・ゴードン、宮澤淳一

オートモアイ

1990年生まれ、神奈川県在住
2015年頃から絵を軸にした活動を始め、アノニマスな女性像をベースに非現実的な世界を描く。
これまでの主な仕事はCDジャケット、グッズデザイン、イベントフライヤー等

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柴田さやか

1985年生まれ、2012年東京工芸大学大学院芸術学領域修了後、同大学ギャラリーに勤務。任期終了後はフリーランスの展覧会ディレクターとして、作家の個展や、店舗ディスプレイをメインに従事。2017年以降はTokyo Mural Projectをきっかけにエリア開発とミューラル制作にも携わる

EVENT INFORMATION

THIS CAN’T BE LOVE

オートモアイが個展「THIS CAN’T BE LOVE」を開催 art_culture180613_auto_moai_3

2018.06.23(土)〜30(土)
月〜金 15:00〜22:00 / 土日 14:00〜21:00
ANAGRA

展示作品
絵画新作約10点、会場内壁画 
販売
オートモアイ作品、omeal the kinchaku コラボレーション巾着
クロージングパーティ
30日(土)18:00〜22:00 
EMARLE、yolabmi、metoronori、不時着
DOOR ¥500 with 1Drink

詳細はこちら

船津晃一朗

船津晃一朗

Qetic編集部

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