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表参道のヴェニュー、VENTで定期的に行われている話題のパーティー<KEWL>。

<KEWL>を主催するEITA、KNOCK、NOELの3人のインタビューは先日こちらでも公開し、東京のナイトシーンを彩る勢いのあるパーティーの首謀者の意見を紹介した。

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その<KEWL>が9月29日(土)に初の試みとして野外イベント<Open Air Playhouse>を開催する。他とは違うことを積極的に行おうとする<KEWL>がヘッドライナーに選んだのはSoichi Terada(寺田創一)とShinichiro Yokota(横田信一郎)の2人だ。過去の作品が海外の人気レーベル 〈Rush Hour〉から2015年に再発リリースされ、近年ではヨーロッパでも精力的に活躍する2人が、なんと19年の時を経てライブパフォーマンスを実現する。

<KEWL>としては海外アーティストを招聘するのはVENTで行うパーティーでトライしているので、野外イベントでは国内のアーティストをブッキングしたいと考えていたという。外国からのお客さんにぜひ来てほしいと考えており、世界で活躍している日本人のハウスのアーティストを考えていたときに、Teradaの名前がまず最初に挙がった。

しかし、Teradaはすでに国内外のフェスなどで大いに活躍しているので、それだとひねりが足りないと感じたようだ。そこで思いついたのがYokotaとのライブだった。思いついたのはいいものの、一緒にライブを行っているのは聞いたことがない。ダメ元で本人にオファーしたところ運よく2人のスケジュールも空いており、企画に賛同してくれて快諾してくれたのだという。

TeradaとYokotaは、90年代初頭に自主レーベル〈Far East Recording〉を起こし、自分達の作品を自由にリリースしてきたが、いわゆるDJを中心とする東京のナイトシーンではそこまで大きく目立った活躍がなかったようにも見える。

しかし彼らのキャリアを紐解くと、インターネットのなかった時代にいちはやく自主レーベルを立ち上げ、DIY精神でアーティスト主体にマイペースにクリエイティブな活動を繰り広げていたことがわかった。

Interview:
Soichi Terada ×

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——そもそもTeradaとYokotaという2人の出会いは何だったのだろうか。

Soichi Terada(以下、Terada) 80年台の後半に共通の友人を通じて出会ったんだよね。共通の友人はDJでダンスの先生もやっていたんだけど、自分がDJのゴングショー(DJコンテストのようなイベント)にサンプラーとコンピューターを持ち込んで出演したときに、その共通の友人と出会う機会があったんです。

(以下、Yokota) その後に鶴見にあったその共通の友人のダンススタジオで初めて会ったんです。その共通の友人と私は87年のVestaxのDJコンテストで出会ったのですが、彼にはその後のゴングショーでのTeradaさんがあまりに衝撃的だったらしくて”Yokota、すごい人がいたんだ!”って大興奮で電話してきたんです。「今度会う約束してきたから」って流れで鶴見のスタジオで会ったのが最初なんです。

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——80年代後半に行われたそのゴングショーで、Teradaはレッド・ツェッペリンを断片的にサンプリングして鍵盤を弾いてリミックスを作ったものを、持ち込んだコンピューターとサンプラーでその場で再生してパフォーマンスを行ったという。いまのビートライブにも通じるようなスタイルのライブを、80年代後半には行っていたというから驚きである。ゴングショーの他の出演者はスクラッチのDJや、MCがいるようなプレイをしていたというから、それはさぞかし“衝撃的”だったに違いない。

Terada 自分にとってはサンプラーやコンピューターの方が身近な楽器で、スクラッチのほうが未知だったんです。

——パフォーマンスだけが際立って未来的だったのではなく、89年にはTeradaはレーベルの前進のようなものも始めていた。名前もなく、ただ自分たちの作品をプレスしてリリースするためだけのものだったという。

Terada 89年に自分の作品を自主でレコードプレスしていました。2年位はレーベルの名前もないままで作品を出していたのです。〈Far East Recording〉という名前にしたのが91年位だったと記憶しています。その頃からYokotaくんとハウスのリリースをしようって話をして、Yokotaくんの曲と自分の曲を1曲ずつとか2曲ずつとかのアナログを作っていました。

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これも記憶が定かではないですが、自分が中学生くらいのときに千葉に住んでいて、家の前を暴走族が走っていたんです。家の窓から暴走族を見ていて、道路の向かいではスナックのお姉さんが手を振っていたりして、なんだか自由でいいなって感じた瞬間があって、(レーベルのロゴの)旭日旗に似たイメージも、暴走族のバイクの後ろについていたイメージが、やっぱり自由の象徴のように自分の中に結びついていたんです。

——ハウスミュージックとはなかなか結びつかないであろう日本の暴走族がなんとレーベル発足に関係していたのだ。暴走族の存在がTeradaにとっての自由の象徴として、彼の作品とパフォーマンスの裏側には存在していのだ。

Terada 〈Far East Recording〉の名前が最初だったか、自由の象徴に見えた旭日旗のマークが最初だったかは記憶が定かではないのですが、自分たちが好きに音で暴走するんだっていうイメージがありました。Yokotaくんとホームセンターに行ったとき、当時は暴走族とかが貼っていた旭日旗のマークのステッカーが売っていたんです。それを買ってトリミングして、純正の旭日旗じゃないようにして、色も青とかピンクとかにしてサンプリングしてロゴも作ったんです。

——音源のサンプリングだけではなく、ビジュアル面でも優れたサンプリングアートを見せてくれている。レコードのレーベル面に見られる摩訶不思議な漢字のイメージなどの由来も全てレーベルのビジョンがあってのことだった。

Terada 〈Far East Recording〉の名前の由来も、NYとかに遊びに行ったときに現地の人と話すと、自分たちが思っている以上に日本も韓国も中国も一緒くたになっていたんです。東アジアがひとまとめに見られていたんです。全然見え方が違うんだなって思って、漠然とした東アジア、誤解が満載のいい加減なアジアのイメージをそのままレーベルから出したいという気持ちもあったんです。レーベルロゴもサンプリングだったり、レコードのレーベル面のデザインも中国のコーラだったり韓国のコーラのデザインを使っちゃっていました。

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今でこそ自分で音楽作品を作るだけでなく、パッケージ周りのデザインや映像作品なども制作し、流通から宣伝まで自分で行って自主レーベルを運営するアーティストは少なくはない。しかしTeradaとYokotaはインターネットが今ほど普及していない時代に手探りで創作活動からそれを広める活動までを自分たちの手で行っていたのだ。

Terada レーベルと言っても1年間でシングルを2枚くらい出すくらいのペースだったので、レーベルと言えないくらいの頻度で作っていたんです。自分たちのペースで締切がなく、溜まったら出す感じでした。Discogsなどを見ると、自分たちのレーベルの作品だけでなく、企業の仕事で作ったものも入っていたので、ハウスに特化したものだと〈Far East Recording〉からはシングル4枚とアルバム2枚しか出していないんです。

——デジタル全盛の今となっては信じられないであろうエピソードも多くあるという。全てを自主で賄っていたので、当然商品となるレコードの在庫も自分たちで管理することとなる。倉庫など借りられるはずもなかった時代はもちろんプレスしたレコードは家に到着することとなる。

Terada レコードが大きいし重いので、一つの作品で500枚とか刷ってしまうと家の中がレコードの箱で一杯になってしまって、積み重なった箱の上でご飯食べたりすると、はけなかったな〜って落ち込んでたりもしました(笑)。

Yokota レコード屋に飛び込みで自分のレコードを持っていって売り込みに行って、店長がその場でかけて気に入れば買い取ってもらっていました。80年代終わりから90年代頭までは店もゆるくて気に入ってくれれば買い取ってくれたり、Teradaさんと“Sunshower”のできたばっかりのホワイト盤を持ってクラブにDJに渡しに行って、その何分後には実際に掛かっていたりと営業も自分で行って、プロモーションも足を使って行っていたり、自分としては面白い貴重な体験ができました。

——この“Sunshower”はTeradaにとって最初のターニングポイントであった。89年にリリースされ90年代に入って評判になり、なんとハウスのオリジネーターである、Larry Levanによるリミックスがリリースされてたのだ。今でこそ世界中のDJが探しているこの曲のヒットにより、ウルトラマンのリミックスシリーズのような作品にもTeradaは参加するようになっていったのだ。

Soichi Terada & Nami Shimada – Sunshower

Nami Shimada – Sun Shower (Larry Levan Mix)

Terada 門前払いの店もあったよね。“Sunshower”のヒットした後と前では対応も違ったよね。勝手に店に置いてきたりしたよね。

——80年台の後半には強いDIY精神を持ってレーベルを始めていた2人はそもそもなぜハウスミュージックを作ろうと思ったのだろうか?

Yokota 小学校の頃にYMOの影響があって音楽を始めたのですが、中学生くらいでパソコンが出始めて、82年くらいに打ち込みを少しづつ始めていていました。YMOが83年位に解散した頃に聞く音楽がなくなっちゃって、海外に目を向けるとヒップホップがどんどん盛んになって新しいリズムが日本にも入ってくるようになったのです。ダンスミュージックだとユーロビートとかハイエナジーがあったのですがあまり馴染めなくて、ハウスのようにシンプルなリズムマシーンのビートとベースと歌が入るような音楽がラジオで少しずつ聴けるようになっていったんです。独学で作っていたのですが、Teradaさんと知り合ったことでレベルの違うやり方を知ったんです。毎晩のようにTeradaさんの家にお邪魔して、スマホのカメラもないので後ろから作業を覗き込んで覚えていました。

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Terada 同じようなソフトを使うようになってたもんね。NECのPC98用のレクリエっていうマイナーなソフトを使っていて、それが一番お手頃で使えるものだったんです。自分の場合は友達がパーティーをクラブじゃなくて中華料理屋の二階とかでやり始めた時期で、そこでDJがハウスの新譜を沢山かけていたんです。それで好きになっていって、ハウスのヴェニューにも遊びに行くようになっていきました。その前もバンドに入っていてサンプリングでドラムをプログラミングするメンバーをやってたりと音楽制作はしていたのですが、そのバンドではドラムループが邪道に思われていたのです。でも自分はハウスのプログラミングやヒップホップ的なやり方に興味があったんです。バンド活動の傍らにDJのゴングショーにも出るようになって、結局バンドが解散したことで自分の興味が行くままにハウスやヒップホップを作るようになっていったのです。

Yokota Teradaさんと同じことをやりたくて、同じ楽器を揃えたのです。自宅に帰るとTeradaさんとほぼ同じ環境だったんです。当時はもちろんインターネットもないので、フロッピーディスクに演奏データを入れてTeradaさんに聞いてもらっていました。当時の音源はDATやカセットテープでまだ残ってます。90年代の初期の作品は卓の前に2人並んで一緒にミキシングしたり作業をしていました。

Terada フロッピーでデータを共有していて、Yokotaくんに持って帰ってもらってベースラインを弾いてもらったり、データ共有なんだけど物理的なやり方をしていました。

Yokota 例えばTeradaさんが作ったラーメンを再現しようとしても、食べただけだと何が入っているのかわからないかと思います。音源データの入ったフロッピーを共有すると、どんな音がどの様に入っているかわかるようになって、Teradaさんの秘伝の作り方が見えてきたんです。

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——特定のアーティストに影響受けたわけではなく毎週のハウスの新譜に影響を受けて、2人は試行錯誤を重ねながら自分たちの望む作品を制作し自主レーベルからリリースをしていたが、ライブやDJとしてのパフォーマンスはどのくらいの頻度で行っていたのだろうか。

Terada 90年代当初は曲を作って12インチにするんですけど、ライブとかDJとかの活動は殆どやってなくて、作ったレコードをレコード屋さんに持っていくとか、友達のDJに配るとかはやっていたんです。自分たちでライブパフォーマンスをやるっていうのは、数回しかなくて。

——なんと彼らは曲を作ることとそれを流通させるレーベル業は行っていたが、パフォーマンス・アーティストとしては活動をそこまで頻繁ではなかったというから更に驚きである。Terada単体ではYellow、Mix、ワルシャワなどの伝説のクラブで年に数回ずつライブを行っていたようだが、当時はまだクラブでのライブアクトは珍しかった。TeradaとYokotaが一緒に行ったライブはクラブやライブハウスではなく、普通のレストランを貸し切ったパーティーに出演したくらいだという。しかもPAシステムも持ち込んで、DIYのプライベートパーティーでのパフォーマンスだったという。

Yokota Teradaさんに作った曲を渡すと、その日のライブでかけてくれてたんですよ。

Terada それは多分Mixの頃だね。DJでお客さんを踊らすことができなくて、ライブのスタイルで短い時間、30分くらいやってました。

Yokota 自分はライブはやってなくて、共通の友人から誘われて結婚式とか客船とかスキー場とかでDJをやってました。20歳位のときにはスクラッチするのとか飽きてきてて、打ち込みをずっとやってたので半分引きこもって作っていて、誘われない限りは夜のクラブに出ていかない感じでした。Teradaさんがゲスト入れてくれるときに、クラブの大音量で自分の音楽を確かめたいと思って一緒に現場に入ってました。

Terada 踊りに行くって意味ではクラブによく行ってて。Goldのウーファーがすごくて、前に立つとスネ毛が振動するくらいの大音量が楽しかったんですよ。それだけで一晩楽しめたんですよ笑。

——TeradaもYokotaも当時のいわゆるナイトシーンのど真ん中で活動してたわけではなく、どちらかというとスタジオでの制作活動に重きを置いている感じだったのだTeradaはクラブが好きでよく遊びに行ってたので、Yellowがオープンした頃とか、Gold、Mix、Maniac Loveなどにはリスナーとして遊びに行ってた。そんな2人が最後にライブしたのは99年のことだった。知り合ったきっかけの友人がクラブチッタにてファンクバンドZappのロジャー・トラウトマンの追悼イベントを行ったときだった。2人で仕込んでZappの“Computer Love”をカバーしたという。Youtubeにはその時の映像がアップされていた。

横田信一郎&寺田創一 LIVE (1999)

——その後の19年間は1年に一度くらいしか会う機会がなく、インターネットが普及してオーディオファイルでやり取りはしていたが、昔ほど頻繁にあって制作することはなくなっていた。しかしその状況が一変したのはTeradaの作品をヨーロッパの人気レーベル〈Rush Hour〉が2015年に再発したことだった。

Terada 恥ずかしながら、〈Rush Hour〉のことは知らなくて、2014年にHuneeが再発しませんかって連絡をくれたんです。もちろんやりたいと返事をして、Huneeが選曲をしてくれて2015年にリリースされたんです。

——〈Rush Hour〉といえば、サブレーベルのKindred SpiritからリリースされたBuild An ArkやKid Sublimeなどにより日本でも音楽通には2000年代初頭から知られていたが、レーベルを率いるAntalを筆頭にHunee、San ProperなどのDJが世界のハウスシーンで大活躍を見せ、こだわり抜いたリリース作品もあっていまでは不動の人気を得ている。DJ陣は日本の<Rainbow Disco Club>にも毎年出演し、レコードディガーでもあるAntalはかなり早い段階からいわゆる和モノをチェックしていた。世界的に人気のあるレーベルから自分の作品が再発されたことにより世界は一変した。

Terada 再発された曲を中心に当時の曲だけで構成したライブパフォーマンスをする機会が増えたんです。今までは曲を作ることの比重が高くて、ライブパフォーマンスの機会が少なかったんですけど、再発後は逆転しました。再発があって半年後くらいに<ADE(Amsterdam Dance Event)>というフェスでライブパフォーマンスをやって、その後に〈Rush Hour〉に近いエージェントがブッキングをしてくれるようになったのです。それから海外でもライブパフォーマンスの機会がすごく増えました。

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——その後は国内外で頻繁にライブ活動を行っていくようになったが、それらはTeradaのソロでのライブだった。<KEWL>のキュレーションによって2人でのライブが19年振りに実現することに対してはどうのように考えているのだろうか。

Yokota この数年の間に昔のようにTeradaさんとの交流も増えているんです。Teradaさんは海外を中心に忙しく動かれているから、こうやって一緒にできるチャンスは多くはないので本当に楽しみにしています。いままでは一緒に作品を作るだけだったのでライブを2人でやるのは僕自身は本当に貴重な時間になるなって思っています。

Terada 自分のライブセットの中でYokota君の曲をプレイする機会はよくあったり、Yokota君のライブもよく見ていました。それぞれの音には特徴があって同じ曲をやっても違う風に聞こえることもあるのですが、今回は2人の曲を一直線上に並べてお互いのセットに参加していくような流れが一体どういう風になるのかは本当に楽しみです。

今日リハをしてみてそこで初めてどういうふうにしようかって話してみたり、実際に初めて音を出してみて想像以上に面白くできそうだと思いました。

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今回のライブを機に新しいライブセットを組んで新しいことを始めたり、一緒に何かを作る機会もあると思っているという。時代によって曲の作り方やデータのやり取りも変わってきたが、一緒に曲を作ることはずっとやってきたのでこれからも、どういう形かはわからないが何かやってくれるだろう。きっと〈Far East Recording〉の当初のヴィジョンのように音楽で暴走するように好きなクリエイティブな活動をマイペースに続けていくのだろう。

Teradaがライブパフォーマンスをすると、フロアが笑顔で満たされる。本人が心底楽しんでいるからに違いない。そのTeradaが19年振りに盟友であるYokotaと共にステージに立つというのだから、これはハウスシーンにとっては世界的な大事件だ。ふたりともこの共演を心より楽しみにしており、その感情はきっとフロアにも伝播していく。

この貴重な瞬間に立ち会って、伝説の目撃者にならない手はないだろう。

Text by Official
Photo by 堀田幸平
撮影協力:Red Bull Music Studios Tokyo

EVENT INFORMATION

KEWL – Open Air Playhouse – with Soichi Terada x Shinichiro Yokota(Live)

【対談 Soichi Terada × Shinichiro Yokota】ハウスシーンの世界的な大事件!2人による19年ぶりのコラボライブ music180808-kewlopenairplayhouse-1-1200x1200
2018.09.29(土)
OPEN 14:00 / CLOSE 21:00
MARINA & GRILL
EARLY BIRD ¥2,500(SOLD OUT) / ADVANCED TICKET ¥3,000 *Limited to 200 tickets
UP
Soichi Terada × Shinichiro Yokota(Live)
Knock
EITA
Frankie $
B-LIB CREW

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VENT

船津晃一朗

船津晃一朗

Qetic編集部

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