第200回 耳もとでささやいて
私は初めて女性を好きになった。何人かの男性と普通に恋愛はしてきたけど、関係が長く続いたことは無かったし、心から相手を好きになったこともなかった。案外みんなそんなものだろうと思ってた。でも違った。恋愛対象は女性だと、今ははっきり自覚している。レズだとかゲイだとか、まるで遠い世界だと思ってた私が女性と恋愛している。自分でもすごく不思議だけど。
彼女は小さい頃から自分自身を理解し、家族や友人にも本当の気持ちを隠してきた。スカートを履くことに違和感があってもきちんとスカートを履いたし、女らしい言動をなるべく心がけてきた。女性に対する気持ちを胸のずっと奥にしまったまま大人になった。異変が起こったのは社会人になってすぐのこと。長い間自分を抑圧しすぎたせいなのか、会社の女子トイレで倒れて病院に運ばれた彼女の耳は、ほとんど聞こえなくなってしまった。
患者と医者として、私たちは出会った。ほとんど耳が聞こえない彼女の耳の近くで私は大きな声で質問して、彼女が小さい声で答える。そしてまた私が耳元で大声で話す。そんなことを繰り返してるうちに、私たちは自然に恋に落ちた。初めて出来た彼女にお互い戸惑いながらも、私たちは自分に正直に生きる喜びを分かち合った。
彼女は数カ月で元の聴覚を取り戻した。住み着いている私の部屋から会社にも通い始めた。そんな今でも私はたまに彼女の耳元まで話をしに行く。「もう聞こえるってば」と笑われるけど、やめる気はない。私にとっては大事な儀式みたいなものだから。
photo by normaratani