第102回 お元気ですか

どんなに金を使っても使い切れなかった。銀座で数百万円ほど酒を呑み、お気に入りの女を高級マンションに連れ帰る毎日。たった2人だけで事業を成功させた私達はそんな生活を大いに満喫し、こんな日々がずっと続くと思っていた。しかしリーダーだったマルオが金庫の中身と共に消えてから半年で資金はゼロになり、それから半年で借金は1億にもなっていた。会社はすぐに倒産。あれから40年間、私はひたすら借金を返すだけの人生だった。

今、マルオが目の前にいる。「この時代に路上靴磨きなんて珍しいな」と思い、どんな人物なのかふと顔を見てみると、随分老けてしまってはいるが間違いなくマルオだった。私はどうするべきか悩んだ。実は私は彼を心底恨むことが出来なかった。事業が成功したのはマルオのおかげであり、次々と契約を取って来ては「次はもっと大きい契約を取るぞ」と目を輝かせていたマルオに憧れてさえいたのだ。私は自分の革靴の汚れを確かめながら、前の客の靴磨きが終わるのを待った。

いらっしゃいませ。お客さん、これはまた随分と履き込んだ革靴ですな。毎日こうやって次々と靴を磨いてるとね、どんな生活を送っているか、どんな性格をしているか分かるようになるんです。せっかちなのが一番靴に悪いんですよ。お客さんの靴には誠実さが出てますね。色々と苦労したかもしれませんが、誠実さがあるのが何よりですよ。

私は黙ったままマルオの言葉を聞いていた。何か喋ると泣き出しそうだったからだ。もう片方の靴も磨き終えたマルオが、さあ終わりましたよ、と私を見上げた。思わず私はとっさに帽子を深く被り、財布から1万円をそそくさと渡してその場から急いで立ち去った。「お客さん! お客さんおつり!」とマルオの声が背中に響く。何かひと言だけでも話そうと思ったがやはり私には出来なかった。でもこれで良かったのだ。彼もまた懸命に今を生きている。私は大きく深呼吸して地下鉄のホームに向かった。

photo by normaratani