日本が世界に誇るジャズ・ピアニストの山中千尋。2018年11月には同年6月に発売したアルバム『ユートピア』を携えての全国7箇所を回るホール・ツアーを開催する。
今回の最新作『ユートピア』の収録曲の中には、今年生誕120周年のジョージ・ガーシュウィンや生誕100周年を迎えたレナード・バーンスタインの曲も収録されている。これまでとは異なり原点でもあるクラシック音楽に立ち返りジャズ・アレンジを施した。本作のテーマはジャズとクラシックの融合だと言えるだろう。
山中千尋がクラシックを取り上げたのはなぜだろうか。アルバム『ユートピア』のコンセプトやフリードリヒ・グルダからの影響、理想とする音楽のあり方としてのユートピアについて語ってくれた。
Interview:山中千尋
——まずはアルバムのコンセプトから聞かせてください。
今年はレナード・バーンスタインが生誕100周年、ジョージ・ガーシュウィンが生誕120周年の年なんです。この2人のアメリカのクラシック音楽の巨匠から立ち返って、クラシックの曲を取り上げてみたいと思ったのがきっかけです。この2人の作曲家の曲だけではなくて、それぞれが影響を受けた作曲家を取り上げて一つのアルバムにしてみたいと。私の原点でもあるクラシックに立ち帰る意味もありますね。「どうしてクラシック?」っておっしゃる方が多いので説明すると、ジャズのスタンダードって、スタンダードは標準って意味なので、より多くの人が知っている当時のブロードウェイの歌曲とかをスタンダードと呼んで、それをフェイクしてジャズの素材にしてきたんです。そういった意味で、クラシックって知られていますし、ポピュラリティもありますし、ジャズの素材としていい素材だなと思っていて。一度、『モルト・カンタービレ』ってアルバムを2014年に出しているんですけど、もう一度、ジャズのスタンダードとしてクラシックを扱ってみたいと思ったんです。
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——もともとのジャズの成り立ちから、ジャズの中の要素を考えるとクラシックの比重ってめちゃくちゃ大きいですもんね。
もともと「ジャズって何か」って言ったら、教会音楽が変形したものとも言えるし、その教会音楽っていうのはクラシックの元になるものなんですね。クラシックと、アフリカン・アメリカンとか、サウス・アメリカンのグルーヴが一緒になって、ジャズになっているので、もともとジャズはクラシック音楽をルーツにしている部分もあると思います。
——今回選んだ曲の作曲者はガーシュウィンやバーンスタインと何かしらの関係があるものってことですか?
そうですね。バーンスタインは指揮者でもあったので、ここで取り上げているような作曲家の曲は指揮しています。ガーシュウィンはもともとクラシックの作曲家になりたくて、ルーツはクラシックにあります。正統的なクラシックの教育は受けていないとガーシュウィンは言っているんですけど、晩年は(モーリス・)ラヴェルに師事したいとか、そういう風にアプローチしてクラシックの中で自分の名を上げたかったっていうのもあるんです。ラヴェルはガーシュウィンの才能を認めて「ガーシュウィンは2流のラヴェルに師事するんじゃなくて、ガーシュウィンらしいものを作っていくべきじゃないか」って言ったらしいですね。メロディーを聴くとわかるんですけど、(ヨハン・ゼバスティアン・)バッハや、(フランツ・)シューベルト、(ルートヴィヒ・ヴァン・)ベートーヴェンとかそういうものを引用している部分はあると思いますよ。
——選曲に関して、ジャズと相性がいいラヴェルや(クロード・)ドビュッシーじゃないんだなって僕は思いました。
ラヴェルやドビュッシーは古典音楽を発展させたものなので、そのままジャズに近いものがあるんです。今回はより古いものを選びました。あとはメロディーですね、スタンダードってメロディーにポピュラリティがあるものが多いので、今回はメロディーにフォーカスして曲を選んでみました。
——メロディーが印象的で、ある種のポップソングみたいな曲が多いですよね。
バッハの“管弦楽組曲”なんて、ポップスの人もロックの人もあらゆる人がカバーしてます。そういうジャズのスタンダードにもなりえるようなメロディーですね。“わが母の教え給いし歌”はブルージーなのでいろんなアーティストがカバーしてます。“乙女の祈り”は(カバーが)少ないので、冒険ですけど、新幹線の発着の音やジングルとして使われるくらいなので、面白いかなと思ってやってみました。
——「強いメロディーが好き」っていうのは以前もセロニアス・モンクについて仰ってましたね。
聴いている方が、何の曲かわからないとカバーとの違いが見えないので面白いくないかなと思うのもあって。全く知らないアウェーな曲だとどういう風に変化したのかわからないけど、今回の曲は一度聴けばメロディーがわかりやすいですし、そういったメロディーの印象的なものをどうやってアレンジに発展させたかとか、そこがジャズの醍醐味のひとつでもありますよね。
——ここでは、わかりやすくメロディーを使っているし、しかもループ的に繰り返してかなり多めにメロディーを弾いていますよね。
ハービー・ハンコックの“カンタロープ・アイランド”や“ウォーターメロン・マン”じゃないですけど、一つのメロディーの中にすごくグルーヴが入っていて、それを繰り返すことによって昂揚感を生むっていうのはジャズの伝統的な手法だと思うので、私はテーマを繰り返すのがすごく好きなんです。繰り返されるメロディーの中にあるグルーヴをきちんと提示するってことですね。テーマを提示して、その中にある一つの宇宙じゃないですけど、グルーヴの存在感があると思うんです。今回取り上げた曲のテーマには独特のグルーヴがあって、そこに重ね合わせていくようにアドリブをしたりもしたので、かなり多めに繰り返しましたね。
——繰り返しながらも、クラシックにおけるソナタ形式のように、少しずつ変わっていったり変奏されていったりもしてますよね。
(アレクサンドル・)スクリャービンは全部即興で作って、それ後からトランスクライブ(採譜)するような形で曲を作っていたそうなんですね。だから、弾くたびに曲が変わっていたらしくて。ガーシュウィンもそうなんですけど、“ラプソディ・イン・ブルー”も毎回違っていたそうです。スクリャービンの“ピアノ・ソナタ第4番”の曲自体は構築性のあるソナタっていうよりは、割と散文的でいろんなものが即興的に入ったり出たりする曲なので、印象的な部分を抜粋して、繰り返してながら演奏してみました。
——即興を採譜して曲にするって、たしかジョー・ザヴィヌルとかもそうだった気がします。
スクリャービンは何かの理由で作曲にかける時間がなくて、どんどん弾いては作っていったらしいですね。
——なるほど。スクリャービンはもともと即興寄りの音楽をやっていたけど、徐々にきっちり書くようになったって話も聞いたことがありますし、即興演奏家でもあったわけですね。
両方できたんでしょうね、(ニコライ・)カプースチンみたいにある部分は即興で、ある部分はきっちり書いてって。彼は手の癖が曲にすごく強く出ているんですよ。指の癖があって、フィンガリングが独特なので、おそらくピアノで弾いてそれを書いていたと思うんですよね。バッハもあれだけ曲数があるってことは一つテーマが入ると自動演奏機みたいにそこからどんどん弾けたんでしょうね。即興演奏家だったんだろうなって思うんですよね。
——手の癖といえば、スクリャービンって左手がすごく動くピアニストだったって言われていますよね。
左手が重要な曲がありますよね、“左手のためのプレリュードとノクターン Op.9”とか。私は学校の時に弾いたら、右手があるのに左手しか弾かないって怒られたこともあるんですけど、スクリャービンは左手のための曲がいっぱいあって、それがスクリャービンの持ち味ですよね。ドラムとベースをいっぺんにやるようなことができた人なので、“ピアノ・ソナタ第4番”の後半の部分は打楽器みたいで、もはや一人パーカッションですね。左手だけで曲になるようなものになってます。
——それってある種のジャズに通じるところでもありますよね。アート・テイタムだったり、アール・ハインズだったり。
エロル・ガーナーとかね。彼もすごい左利きですから。レッド・ガーランドもそうじゃないかな。
——レッド・ガーランドは左手が強いからブロックコードが強力ですよね。ジャズと絡めながらスクリャービンみたいな作曲家の話をしていると「ジャズピアノってどういうものだろう」って根源的な話に行きつくというか。
そうですよね。ビバップからハードバップもそうですけど、スウィングとかストライドみたいなピアニストはものすごい左手が上手でしたよね。ジャズピアノの醍醐味ってリズムなので、スコット・ジョプリンもそうですけど、左手がすごく重要なんです。ジャズは左手がどうにかなれば、右手はどうにでもなれってくらいですよね。