2011年リリースのシングル“パンプト・アップ・キックス”が全世界トータル約1,000万、デビュー・アルバム『トーチズ』が200万を超えるセールスを記録し、グラミー賞計3部門を始め世界的アワードでの数々のノミネートや多くの著名アーティストからも絶賛を受けるなど、2011年から2012年にかけて最大級の世界的ブレイクを果たしたフォスター・ザ・ピープル。デビュー・アルバム『トーチズ』から3年、遂にニュー・アルバム『スーパーモデル』をリリースした。
前作と同じく、これまでにアデル、ポール・マッカートニー、ブルーノ・マーズ、プライマル・スクリームなどを手がけ、アデルの『21』で2012年グラミー賞「最優秀プロデューサー賞」も獲得した:ポール・エプワースと共に、昨年1年をアルバムの制作に費やした彼ら。前作で世界中を魅了したサウンド/一聴してそれと分かる‘FTP節’をベースに破格のスケールで進化/多様化、さらに楽しく強くダイナミックなロック/ポップ・ミュージックへと昇華させたニュー・アルバム『スーパーモデル』は、現在先行フル試聴もスタート。またスケールを増したパフォーマンスを7月に行われる<フジロック>にて日本初披露する。
そして、このリリース後の絶好のタイミングで彼らのオフィシャルインタビューが到着。今作完成までの経緯について語っている。
Interview:Foster The People
――フォスター・ザ・ピープルはマーク・F のソロのスタジオ・プロジェクトとして始まり、その後バンドに発展し、アルバムを完成させて、それから 2 年近くツアーをしてきたわけですが、ここにきてバンドとしてアイデンティティを築いたという手応えはありますか?
マーク・ポンティアス(以下 P) ああ。何たってツアーなんかを始めてから3〜4年になるし、どんなバンドでもそれくらいの時間を経れば成長するものだよね。だからこのセカンド・アルバムでは、自分たちの音楽やイメージを変えようって決めていた。自然な変化をもたらそうってね。でも間違いなく僕らは、ヴァンに乗り込んで5人だけでツアーしていた頃に比べたら、随分遠くまでやって来たと 思うよ。
――色々と面白い体験をしたと思いますが、特に印象深いものというと?
カビー・フィンク(以下 C) 僕にとってのハイライトは恐らく、コロラドで去年の夏・・・いや2年前の夏にやったコンサートだね。レッド・ロックスという野外会場があって、ステージは文字通り峡谷の真ん中にあって、ステージの両側に急峻な赤い岩の崖が切り立っている。特別なショウになるからということで、僕らは家族をみんな招いたんだ。だからあの素晴らしいシチュエイションで、3人の家族がオーディエンスにいて、僕らがプレイした中で最高のパフォーマンスのひとつになって、それを家族と分かち合えたというのは本当に美しい体験だった。前回のツアーのハイライトになったし、少なくとも僕自身にとってのハイライトと言えるよ。
――ほかには?
マーク・フォスター(以下 F) (2012年2月の)グラミー賞授賞式でビーチ・ボーイズと共演した体験は、一生忘れないだろうね。あそこに至るまでの時期に、「サタデー・ナイト・ライヴ」ほか様々なランドマーク的なテレビ番組に出演して、それも全てバンドとして重要なステップだったんだけど、実を言って記憶がおぼろげなんだよね。というのも、僕らはまだバンドとして成長途中だった。そしてグラミー賞授賞式での僕は、パフォーマンスが始まる直前に完全に穏やかな気持ちになって、会場のステープルズ・センターを見渡して、ビーチ・ボーイズの面々を眺めて、この瞬間を満喫しよう と心に決めたのさ。そして僕は微笑んで、じっくりと楽しむことができたんだ。
サタデー・ナイト・ライヴ
――新作に着手する前に少し立ち止まって、自分たちに起きたことを消化する時間は持てました?
P ああ。約1年間ツアーはやらなかったからね。去年は1回フェスティバルで公演しただけで、新作のレコーディングもしたわけだけど、それを除けばゆっくりと家族や友人と過ごして、これまでに僕らの身に起きたことから、少し距離を置くことができた。それってすごく重要だったと思う。そんな風に地に足を付けるっていうのは、少なくとも僕にとっては重要だった。だからそれはそれで良かったけど、今は全員、こうして仕事を再開することにエキサイトしているよ。
――いわゆるセカンドのプレッシャーはありました? ファーストと違って、大勢待っているファンがいるという意識はどう作用しましたか?
F 僕はファースト・アルバムをリリースする前から、セカンドのスランプってヤツを恐れていたんだ。というのも、これまでにあまりにも多くの素晴らしいバンドが、セカンド・アルバムで失敗するのを見てきたからね。セカンドのプレッシャーというのは実在するんだと心得ていた。だからこの新作に関して、クリエイティヴな面で僕にとってすごく重要だったのは、クリエイティヴなプロセスに“恐れ”を侵入させないことであり、メディアであれファンであれ、外部の声や外部の期待が曲作りのプロセ スに影響を及ぼさないようにすることだった。それがスタジオに入り込んだ瞬間に、アーティストとして僕らはおしまいだからね。そんなわけで、今回僕らがアルバム作りを通じて心に留めていたマントラは、“Be brave(勇敢であれ)”だった。それが、オーセンティックな作品を作らせてくれたと思うよ。
――どんなアルバムにしたいのか、具体像はあったんですか?
F いいや。こういうことをやりたいねって話していた美意識みたいなものなら、幾つかあったよ。例えば今回は、自分たちの不完全さを受け入れたいと強く思っていた。ファーストは非常に磨き上げら れた、人工的なアルバムだったわけだけど、セカンドでは僕らが一室に集まって一緒にプレイする時のフィーリングを封じ込めて、その相乗作用とエネルギーを取り入れたかった。そのほかにもスタイル的に意識していた要素があって、アフリカのリズム、アフリカの音楽を掘り下げたいと考えてもいたし、1970 年代のパンク・ムーヴメントの音楽にもインスパイアされていたよ。でも結果的には、ほかにもたくさん想定外のスタイルが入り込んで、驚きの連続だったし、着手した時に自分たちがどこに向かっているのかよく分かっていなかったということが、まさに、今回の作業において一 番素晴らしかった点のひとつだと思う。そしてレコーディングをしながら、アルバムが自然に形を現してゆくままに任せたのさ。
――アルバム制作のプロセスはモロッコで始まったそうですね。マークのほかに……
F ポール・エプワースが一緒だったよ。
――なぜモロッコだったんですか?
F 一緒に曲作りをしたいって彼に電話で相談して、これまでの僕らの体験なんかを話しているうち に、共感できることが色々見つかったんだ。アフリカの音楽、北アフリカや西アフリカの音楽を聴いていることだったりね。それで、地元では作業に集中し難いから、どこかに遠出しようということになった。僕は以前からモロッコに関心があって、ポールはすでに行ったことがあったから、じゃあモロッコにしようと決めたのさ。文化的な面で非常に興味深い場所なんだよ。一方ではフランスやポルトガルやスペインの影響を汲んでいて、他方ではアラブとアフリカ圏の影響下にもあるし、それら全てがひとつの国に混在している。だからクリエイティヴな意味で、多様な色彩をピックアップできるんだよ。
――そういう場所に身を置くことで、またモロッコから世界やアメリカを眺めることで、作詞する面 でも新しい視点が得られたのでは?
F まさにそうだったよ。多分今回の歌詞を綴る上で、それが最大の原動力になったと思う。あちこちを旅して、色んな国々を訪ねて見聞を広め、異なる視点から様々な物事を見るという体験が、大きな役割を果たした。『Torches』はある意味で僕らに“見る力”を与えてくれて、巡礼の旅に連れていってくれたんだ。で、まず最初にツアーがあったわけだけど、ツアーが終わったあとも僕は旅を続けて、その間に様々なものに出会って様々な見解に触れ、自分の人生観を永遠に変えてしまうような体験をしたように思う。だから僕はたくさんの疑問を抱えていた。『Torches』とそのツアーを 受けて、僕は旅をしながら自己省察に耽り、それらの疑問がセカンドに反映されているんじゃないかな。
――カビーとマーク・P はどの時点でプロセスに加わったんですか?
P マーク・F がモロッコから戻ってきた時に、ポールと作ったアイデアやスケッチを僕とカビーに聴かせてくれたんだ。素晴らしいアイデアがたくさんあって、LAで次の作業を行なう上で、申し分ない出発点に立っていた。それから僕らはマリブにあるウッドシェッド・スタジオに集まって、それらのアイデアに命を吹き込み、さらに数曲新たに書き上げた。波の音を聴きながら(笑)。だから楽しか ったよ。
――ここまでオーガニックなサウンドになったのは、やっぱりツアーの影響なんでしょうか?
C 色んな意味で、僕らはツアーを通じて、自分たちがどういうバンドなのかを確立したようなものだからね。ファーストを発表した時の僕らはまだ誕生したばかりのバンドで、ほとんどライヴをやったことがなかったから、あのアルバムに収められていた曲のアイデアは大半が、コンピューター上でプログラムされたものだったり、マークが独りで作ったものだった。でもその後のツアーで僕らは、 アルバムより遥かにオーガニックでパーカッシヴなサウンドを構築した。ステージ上で、メンバー全員の相乗作用がごく自然に生み出したんだ。だから今回はそういうアイデンティティをスタジオに持ち込んで、僕らがどんなバンドなのか、より明確に打ち出したのさ。
――曲によって、ラインナップはすごくフレキシブルですよね。マークが独りで弾き語りをしている曲があるかと思えば、大勢のミュージシャンが参加している曲があったり。
F これはコラボレーションを積極的に取り入れたアルバムなんだ。大勢の人がアルバム作りに参加しているんだけど、何が楽しかったって、たくさんの楽器が用意されたスペースで作業をして、まず最初に基礎的な部分をレコーディングし、そのあとはみんな、シンセでもパーカッションでも好きな楽器を手に取って、アイデアを思い付いたらそれをどんどん鳴らして、録音したんだよ。そういう意味では、エゴのない作業だったと言えるね。
――ポールとは前作に引き続いてのコラボになります。セルフ・プロデュースも可能だと思うんですが、なぜ再びポールと?
F 自分たちが作りたかったアルバムを実現するために、必要だったんだよ。今回は、タイムレスでありながら、レコーディング方法においてはモダンなアルバムを目指していて、ファーストでポールとコラボして、審美的な観点からポールが相応しいと思った。彼と色々話して、こういうアルバムをバンドとして作りたいと説明して、彼も賛同してくれたから、ぴったりの人選だったよ。
――先程、アフリカ音楽とかパンクを参考にしたという話が出ましたが、あなたたちがこの数年によく聴いていた音楽の影響がそのまま反映されたということでしょうか。
F 例えばザ・クラッシュに関して言うと、ツアー中、ライヴが始まる前に毎晩彼らの曲をかけていたんだよ。ライヴに向けて気分を上げる音楽として、僕らの定番だったのさ。だから1年の間に、僕らの頭の中にザ・クラッシュの音楽がすっかりストックされていたんだ。ほかにも何組か共鳴したバンドがいたよ。そして同時に、カビーが言ったように、僕らのライヴのパーカッシヴな性質というのはツアー中に自然に生まれたもので、ツアーをして一緒にプレイする中で形作られたものだった。だから、ツアーを通じてバンドが確立したキャラクターであり、それもアルバムに取り入れたかったんだ。
――じゃあ、どの曲もリズムの要素から始まったんですか?
F ほとんどの曲がそうだったと思うよ。
――ザ・クラッシュにそこまでハマっていた理由って何だったんでしょう?
P どうなんだろうね。説明するのは難しいな。ドラマーとして、リズム的な観点から言うと、ザ・クラッシュのリズム・セクションは常に素晴らしい。踊れるんだけど、エレクトロニックではなくて非常にオーガニックでヒューマンなんだよね。そしてパンクロックでもあって・・・うん、言い表すのは難しいな。マークが言った通り、ライヴが始まる前に毎晩かけていたんだけど、それは、僕らにエネルギーを与えてくれて気分を上げてくれるからであって、そういう部分に惹かれるのかもしれない。
The Clash “London Calling”
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