『Qetic』にはユーモアがあり、カジュアリティがあるよね。
だって、ヒゲとかどうでもいいじゃん(笑)。

——ちなみに『Qetic』はどんな印象ですか?

『Qetic』はすごい好きですよ。よく俺の17歳年下の上司が「タナソーさん、ホント『Qetic』好きですよね?」って言うくらい(笑)。その理由は、音楽を軽いものとして扱っているから。いい意味でね。こんなものは実は大したものじゃないんだよ、暇つぶしだよって。それは俺にもあるベーシックな考え方。音楽ってすごいよ、でも結局のところどーでもいいんだよって。多分、そのフィーリングは『CINRA.NET』にはないよね? いわんや『ele-king』には絶対にない。おそらく『ジャパン(ROCKIN’ON JAPAN)』とかもそう。どれも俺からすると、ちょっとシリアスすぎる。ローリング・ストーンズじゃないけど、たかが音楽なんですよ。その感覚が音楽にまつわる言説に欠けていることだと思う。ユーモアが介在しない、シリアスでエモーショナルすぎるモノって、本当は音楽やアートともっとも遠いものだと思う。でも『Qetic』にはユーモアがあり、カジュアリティがあるよね。だって、ヒゲとかどうでもいいじゃん(笑)。意味わかんないし。そういうの大事だよね。

ローリング・ストーンズ “It’s Only Rock ‘N’ Roll (But I Like It)”

——WEB時代、ブログやSNSなどで誰もが情報発信者となれますが、エンターテインメントを提供出来る情報発信者であるために注意すべきポイントを教えてください。

ユーモアとアイデアかな。ここ最近、若い書き手志望の人たちに「何を書くかということに関してはきちんとしてても、どう書くかに関しての視点はあんまりないよね」っていう話をするんですよ。既存のよくない批評——特に邦楽系の言説というのはリサーチがしっかりなされていなかった。でも、少なくともここ最近の書き手たちにはしっかりしたリサーチがあって、きちんとした分析がある。勿論、それだけで十二分に価値があるんだけど、ただ時折、情報性としては優れていて、論旨としては面白いけど、ちょっと企業のマーケティング部が作る企画書みたいだな、って思う時もある。読ますための工夫にまで気がまわっていない場合もあるように感じる。

——なるほど。

たとえば、若い書き手志望の人たちは、ひとつの音楽作品を書こうとすると、その音楽についていきなり書こうとするから、パースペクティヴが狭くなっちゃう。視点が限られる。でも、対象から2m離れてどんなふうに聴かれているか、東京の上空まで離れてそれがどんな影響を及ぼしているか、それが日本全体、世界全体でどういう状況を起こしているか、いろんなアングルで俯瞰したところから語りだすことが大切だと思います。音楽的な視点、社会学的な視点、歴史的な視点、その他もろもろ。とにかく同時代の読み手を意識すること。結局、インタビューの現場でインタビュアーの一番やらなきゃいけないことって、自分の訊きたいことを訊くことじゃないよね? 相手の話したいことを話させてあげるのが仕事。相手の話させたいことを話させたら、そこにプラットフォームが出来上がる、そこで初めて自分の論旨をがんがん乗せていく、それと同じ。不特定多数の人たちが、今何を語って欲しいのか、何について何をどんなことを誰が聞きたいか、そこから発想して最終的に音楽作品と自然にリンクするところを抽出していく。そういうプロセスだと思う。

——そこを取り違えて自己表現し過ぎな書き手って多いですもんね。

それ、最近のJ-ROCKとよく似てるよね(笑)。以前よく『snoozer』の若い連中に、原稿っていうのは合気道だからって話してたんですね。要は、両足がしっかり地についている奴を投げるのは無理なんです。でも、片足上げた状態だと投げれる。じゃあ、片足上げた状態っていうのはどういうことなのか考えましょうって。まず俺たちがやるべきことはそこだと思う。相手が何を見たいのか、何を知りたいのかを考えてからやっていく。すごく退屈な答えなんだけど、それをひとつひとつ積み重ねていくしかないと思うな。

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