解散と奇跡の再始動

さらに翌年、同じくノートンを迎えた3rd『ボサノヴァ』(90年)を発表。キャリア史上最大のヒット・ソング“Dig for Fire”を収録したこのアルバムは評価もセールス面も申し分なかったが、ほぼフランシスのワンマン体制で制作されたこともあってか、メンバー間(というかフランシスvsキム)の軋轢が絶えないようになる。特にキムはスローイング・ミューゼズのタニヤ・ドネリーと共に新バンドのブリーダーズを結成し(後に、姉のケリーも加入)、フランシスとの関係も泥沼化。結局は91年の4thアルバム『トゥロンプ・ル・モンド』のリリースを最後に、バンドは93年に解散を発表した。当時、ピクシーズはU2の<ZOO TVツアー>のサポートを務めており、初来日公演も予定されていたのだが幻となってしまう。

PIXIES – “Dig for Fire”

フランシスは後に(一時的なものだが)フランク・ブラックと改名し、ソロ・アーティストとしてのキャリアをスタート。サンティアゴはフランシスのソロ作品や自身のバンド=The Martinisなどでギターを弾きつつ、TV番組や映画のスコアも手がけるようになる。残るラヴァリングは、バンド解散後に一度ドラムを辞めてしまい、マジック(!)と金属探知にハマって破産しかけたものの、ニッツァー・エブをはじめ様々なバンドのツアー・ドラマーとして渡り歩いていた。

それからおよそ11年、奇跡が起きる。ピクシーズは04年に米ミネソタにてオリジナル・メンバーでの再結成&ワールド・ツアーをアナウンスし、世界中のファンを狂喜乱舞させることとなった。日本へは<フジロックフェスティバル>の準ヘッドライナーとして悲願の来日を果たし、翌05年にはまさかの単独ジャパン・ツアーも実現。キムが作詞&メイン・ヴォーカルを務めたダウンロード限定の新曲“Bam Thwok”のリリースも、ピクシーズの完全復活を印象づけた。これら一連の解散〜再結成のビハインド・ストーリーについては、04年の再結成ツアーを追ったドキュメンタリー作品『ラウド・クワイエット・ラウド』(06年)をご覧いただくのが良いだろう。その間に新たなマテリアルこそ発表されなかったものの、10年には<サマーソニック>出演のため再来日も遂げている。

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