米ボストンにて、ピクシーズ誕生

1986年、ピクシーズは米ボストンの大学生だったブラック・フランシス(ヴォーカル&ギター)と、その同級生だったジョーイ・サンティアゴ(ギター)を中心に結成された。地元紙に「ハスカー・ドゥとピーター・ポール&マリーが好きなメンバー求む」と募集をかけたところ、その広告に唯一リアクションを示したのが、紅一点のキム・ディール(ベース&ヴォーカル)。なんと、キムはそれまで楽器をまともに演奏したことすらなかったが、音楽面での趣味嗜好やヴォーカル・スタイルが評価され、ピクシーズに加入することとなった。

続いて、キムの双子の姉であるケリー・ディールもドラマーとしてバンドに引き込もうとしたが失敗し、キムの夫が自分たちの結婚披露宴で出会ったというデイヴィッド・ラヴァリング(ドラムス)を紹介。こうして4人の黄金メンバーが顔を揃えた。バンド名の由来は、サンティアゴがランダムに辞書を引いた単語がたまたま「Pixies」だったからで、正式名称は「Pixies in Panoply(ピクシーズ・イン・パノプリー)」である。

イギリスの名門〈4AD〉からデビュー

地元ボストンの先輩バンド、スローイング・ミューゼズのサポートを務めていた彼らは、音楽プロデューサーであり「Fort Apache Studios」のマネージャーも兼任するゲイリー・スミスに見初められる。3日間のスタジオ・セッションから録音された全17曲入りのデモ・テープ=通称『The Purple Tape』がいきなり英国の名門〈4AD〉のオーナー(当時)だったアイヴォ・ワッツ=ラッセルの目にとまり、同レーベルと契約。そのデモ・テープより8曲をピックアップしたミニ・アルバム『カム・オン・ピルグリム』(87年)で正式なデビューを飾った。

その直後、バンドはシカゴの名匠スティーヴ・アルビニをプロデューサー&エンジニアに迎えた1stアルバム『サーファー・ローザ』(88年)を制作。ノイジーなギター・リフからにじみ出る驚異的なメロディー・センス、実体験や空想に基づく文学的でウィットに富んだ詩世界、そしてフランシスの巨体から繰り出される絶叫ヴォーカルはピクシーズのトレードマークとなり、彼らの存在は広く世界中に知れ渡ることとなる。アメリカではメジャー・レーベルの〈エレクトラ〉とサインし、翌89年には盟友ギル・ノートン(近年はフー・ファイターズやマキシモ・パークらとの仕事で有名)がプロデュースを務めた2ndアルバム『ドリトル』をリリース。この作品は今でもピクシーズの最高傑作との呼び声が高く、収録された“Here Comes Your Man”や“Monkey Gone to Heaven”といったナンバーは当時のイギリス・チャートでトップ10にランクインする快挙を成し遂げている。

ニルヴァーナの代表曲“Smells Like Teen Spirit”が、カートいわく「ピクシーズからリフをパクって出来た曲」と称されるゆえんは、名曲”Debaser”を一聴すれば理解してもらえるハズ。また、ニルヴァーナが3rdアルバム『イン・ユーテロ』(93年)においてアルビニを指名したのも、ピクシーズの『サーファー・ローザ』の存在あってこそだ。

PIXIES – “Debaser”

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