「バッシュ」との出会い

高校生の時の記憶が新しい。念願のバスケットボールに入部し、母親に「バッシュ」を買ってもらった。悩んだ末に選んだのは、“黒”のバッシュ。かかとが高くなっていて怪我にもなりにくいのではと、お店の方も薦めてくれた。早速家に帰り、履いてみる。その場でジャンプしてみる。その場で少しシュートを打ってみる。早く体育館で使ってみたい。嬉しくて、嬉しくて、早く明日になってほしいと思いながらベットにつく瞬間は、至福の時間だった。しかし、このバッシュは一度体育館で履いた後、二度と履くことはなくなってしまった。

Sneakerheadz

現在(8月)ニューヨークで公開されている『Sneakerheadz』は熱狂的なスニーカー・ファンに焦点を当てたドキュメンタリー映画だ。監督は、『リトル・ミス・サンシャイン』で<アカデミー賞4部門>にノミネートされたプロデューサーのデヴィッド・T・フレンドリー(David T. Friendly)と同じくプロデューサーのミック・パートリッジ(Mick Partridge)。映画は、ラッパー、俳優、スポーツ選手、プロスケーターなど、熱狂的なスニーカーファンをインタビューしながら、スニーカーの歴史と文化を紹介していく。その中には2人の日本人経営者もいる。一人は吉祥寺を含め4都市に店舗を構えるSKITのオーナーKatsushige Kamamotoさん、もう一人はChapteratmosを運営する本明秀文さんだ。

「バッシュ」=「スニーカー」

スニーカーは誰のもの?映画『スニーカーヘッズ』を深堀り! film150819_sneaker_02

2015年『エアジョーダン・レトロモデル』
(左上から右に『Air Jordan VIII Aqua, Air Jordan VIII Three Times a Charm』、『Air Jordan VIII the black-and-chrome』、『Air Jordan I』、『Air Jordan XIV Low』、 『Air Jordan VII』 )
写真提供:Nike. Inc

映画の中で興味深いことは、アメリカと日本のスニーカー・カルチャーの成り立ちがまったく異なることだ。アメリカでブームが始まったのは、バスケットボールの神様、マイケルジョーダンの『エアジョーダン1』が発売された1984年。以降スニーカー・カルチャーは、バスケットボール選手が中心となり牽引している。それは1つにアメリカでは、バスケットボールがストリートと密接に繋がっているという文化の基盤があったからだろう。インスタグラムに頻繁に投稿されるNBAのスーパースター、レブロンジェームスのナイキシューズの写真には、30万人以上から“ハートマーク”が付き、レブロン自身も史上初のNBA選手によるファッション・ショーを開催することでファッション業界を盛り上げている。また、ナイキ社がラッパーのジェイ・Zとコラボレーションしたオリジナルスニーカーを発表するなど、スニーカーを通じて様々な業界と協力しファッションを作り出すことが大きな魅力だ。映画では、ニューヨークを拠点に活動するデザイナー、ジェフ・ステイプル(Jeff Staple)が、ナイキ社とコラボレーションした際の様子が綴られている。

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『Nike SB Dunk Low ‘Pigeon’ Grey(Staple Desgin10周年記念モデル)』
2005年1月に世界限定150足、ニューヨークのみで発売された。(スニーカーを持っているのは、ジェフ本人)
写真提供:Staple Design

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