4人の新学期や新学年の想い出、そしてそれぞれの17歳

──話は変わって。ここからは今回の作品タイトルの『new school』にちなんだ質問をみなさんに。まずは、みなさんの新学期や進級の想い出から教えて下さい。

山本 毎年恒例だったんですけど、新学年で先生が変わる度に、僕の名前を読めないんですよね。僕、幹宗(かんじ)って書くんですけど、出席を取る第一回目は必ず「やまもとみきむね君」みたいに間違って呼ばれてました。

長島 僕、誰か知り合いがいれば大丈夫なんですけど、実は極度の人見知りなんです。なのでクラス替えの度にドキドキしてました。やっぱり新学年や進級ってファーストインパクトが大事じゃないですか。新しいよく知らないメンツの中、どう自分をねじ込んで行こうかと毎年悩んでました。

伊藤 僕、凄く田舎の出身なんで、だいたい保育園から中学校までほとんどみんな一緒なんですよね。そんな中、僕、昆虫が大好きで。夏休みになると毎年、誰とも友だちに会わず、昆虫採集に勤しんでました。小1〜小6まで休みの時は、ひたすら昆虫採集と昆虫標本作りに明け暮れてましたね。

三浦 一番衝撃的な新学期は、オーストラリアに1年留学していて、そこから戻ってきた春でしたね。向こうに留学して、ちょっと大人になって戻ってきたんですけど(笑)。留学を終えて戻ってきたら、1年休学扱いになってたので、1学年下の人たちと一緒に高校生活を送らなくちゃならなくなって。そうしたらめちゃめちゃモテて(笑)。帰国子女だし、女子クラスだったし。クラスに男9人、女30人でしたからね。人生で一番モテた時期かもしれない。

【鼎談】新生HOLIDAYS OF SEVENTEEN、新作に参加した長島涼平(the telephones)&山本幹宗(元The Cigavettes)と共に新学期の思い出を語る interview140507_hos_1209-1

──続いて、HOLIDAYS OF SEVENTEENにちなんで、みなさんが17歳だった頃の想い出を聞かせて下さい。

伊藤 学校もあまり行かずバイトばかりしてましたね。友だちと遊ぶためのお金を、ひたすら稼いでました。当時はケンタッキーフライドチキンや的屋(てきや)とかをやってて。学校がバイト禁止だったんですけど、そのケンタッキーが学校の近くにあって。先生も来るし、大変でした(笑)。その上、僕、学校をサボりまくっていたんで、出席日数が足りなくなっちゃって。最終的にはなんとか卒業できたんですけど。サボっている間は、ほぼ毎日釣りをして、作ってもらった弁当を外で食べて、また釣りして、時間になったら家に帰るという生活を送ってました。ホント、自由に生きてたよなぁ……。女性と遊ぶのが大好きだったし……。当時は、周りのファミレスにもまだドリンクバーが無くて。ファミレスでお代わり自由なコーヒーを頼んで、それでずっと居座ってましたね。12時間ネバったこともありますよ。

三浦 17歳の頃は野球ばかりしてました。17歳の最後の方でオーストラリアに留学して、そこで2つ年下のセーラちゃんに大人にしてもらったんです。

山本 だから、バンド名がHOLIDAYS OF SEVENTEEN(笑)。

三浦 (笑)。交換留学で行ったんですけど、留学先でもほとんど言葉が喋れず。そんな中、歌が歌えるということで得をしたところもあって。週末毎にパーティに呼ばれては歌ってました。

山本 僕は17歳の頃は既にライヴハウスに出てギターを弾いてましたね。ジミ・ヘンドリクスや初期パンク等の音楽をやっていて。ライヴを演って、その帰りに王将でウーロン茶で打ち上げをして帰る。そんな毎日でした。まっ、今とあんま変わんねぇか(笑)。

長島 僕も17歳で初めてライヴハウスに出ましたね。その時は、「音楽で食べていこう!!」なんて考えは、まだなかったんですけど。みんなで集まって、色々と騒ぎながらも、急にその中の1人が将来のことを真剣に話し出したりして。儚かったな……。当時はずっと、このまま17歳が続いていくと勝手に思ってましたから。なんか、「他のヤツらと自分は違うんだ!!」と思ったりしてたし。自由に好きなことをやって過ごしている周りの大人を見ては、「あぁ、あんな大人になりてぇな……」と憧れてました。

次ページ:長くやり続けることは、常にやりたいことを見つけ続けること