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Namyとして国内外を股にかけて活動する選音家/音楽プロデューサーの高波由多加と『カンヌライオンズ』での受賞経験もあるデザイナーの落合健太を中心にして、15年にスタートしたクリエイティブエージェンシー、『PLAY TODAY inc.』。デザインや音楽をテーマに「様々な人と人とを繋ぐ」ことを得意とする彼らは、まだ設立間もない会社ながらも、アイディア溢れる企画を精力的に展開。15年5月の音楽フェスと出演アーティストの出身地の物産展を融合させた<PLAY TODAY music festival 2015>を皮切りに、岐阜県大垣市でビジネスシンポジウム/テクノロジーフェア/ミュージックフェスティバルの3つを同時開催した地方創生フェス<POST>、高波氏の地元でもある新潟のお寺で開催された<浄興寺festival>など、様々な切り口で「みんなが遊べる場所」を作り出している。

会社を立ち上げ、様々な試行錯誤を繰り返した15年は、果たして2人にとってどんな1年だったのだろう? また、その先に見据えるものとは——。お互いの出会いから、会社設立に繋がっていく旅の話、初めての自社開催イベント、記憶に残っている仕事まで。日々「楽しい」「遊び」を発信し続ける彼らの、怒涛の15年をプレイバック!

Interview:高波由多加(Namy)× 落合健太

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高波由多加(左)、落合健太(右)

——そもそも、それぞれ異なる分野で活動してきた高波さんと落合さんが出会ったきっかけは、どういうものだったのでしょうか?

落合健太(以下、落合) 今から11年ぐらい前、僕がアパレルの販売員をしていた頃、当時サラリーマンだった高波が、その店舗にお客さんとして来ていたんですよ。

——そういう出会いだったんですか(笑)。

高波由多加(以下、高波) そうなんです。僕はそれほど頻繁に買うような客ではわけではなかったんですけど、彼の仕事中にただ世間話をしに来たりするような感じで(笑)。

落合 そこから仲良くなって、たまにCDをもらったり、しゃべったりしていたんですね。その3年後に僕が独立して……。(高波さんがNamyとして)『CLIMAX TONE』を出したのっていつだったっけ?

高波 11年。そのタイミングで、彼にジャケット・デザインをお願いしたんです。僕がFacebookを始めたぐらいの話なんですけど、しばらく会わなくなっていたところ、「知り合いかも?」の欄に彼の名前が出てきたんで、まずはお茶でも行こうかという話になって。

落合 それで、久しぶりに会って「今何やっているの?」という話をしていたら、高波がCDを出すことを知ったんですけど、僕は当時モノを売っていて自分で流通も持っていたので、じゃあうちの取引先を紹介しましょう、という話になったんです。取引先も決まった段階で、デザインもやることになって、それから2〜3年ぐらい、ちょこちょこと一緒に仕事をするようになって。

高波 その後13年に、「全国のいい音を集めることで、各地域で自立して活動ができるミュージシャンを増やすことが出来るんじゃないか」と思った僕が、「音楽の甲子園を作りたい」と彼に相談したんです。そうしたら、「まずはデータベースを作ったらいいんじゃないか」と、アプリを作ってくれて。でも、それって結局はウェブ上の話ですよね。だから、「実際にミュージシャンたちに会いに行こう」と、彼らのもとを訪れる旅に出たんですよ。

落合 それが14年の2月か3月だったと思いますね。

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——へええ、とても面白い話ですね。

高波 最初は2週間ぐらいかけて九州をぐるっと一周して。

落合 他にも山口、広島、関西も三重のまで……まぁ本当に色んなところに行きました。14年の移動距離だと、僕が地球を1周分ぐらいしていて、高波は2周分ぐらいしていて(笑)。

高波 (笑)。実は、僕はひとりで高速バスを使って、以前からそういうことをやっていたんです。でも2人で旅に出ることになって、それが加速したというか。実際に会ったミュージシャンに他のミュージシャンを紹介してもらって、「この人が言うなら間違いない」と、その繋がりを辿っていくような旅でした。

——それはどんな経験になりましたか? 普通、なかなか出来ることではないですよね。

落合 僕らは2人とも結婚しているので、大前提として「よく嫁が許してくれたな」ということがありますし……。

——(笑)。

高波 それに、ワクワクしましたね。子供心に戻れるような冒険というか。僕らが辿った旅は、そこで食べるものも出会う人も、観光ガイドブックには載っていないようなもの/人ばかりだったんです。その時点では、それをどう会社にしていくかもまったく考えていなくて、ただ魅力的な人や音を探して旅を続けていた感覚で。

落合 面白かったのが、同じ人に会って同じ体験をしているはずなのに、その人からもらう意見は、僕と高波では全然違ったんですよ。高波は感情的に思いを伝えるタイプで、僕は彼の気持ちを論理的にする役回りなので、相手方もそれを何となくご理解いただいた上で、僕に来る言葉は本当に厳しいもので。「よそ者が急に土地に来て、どうせあなたたちも一過性で楽しくやって、長続きせずに帰るんだろう?」ということを、本当に何度も言われました。でもそういう経験をしたことで、メディア上のブームを見るだけではわからなかった、地方創生の実態がリアルに見えてきたんです。

高波 ある程度仲良くなると、そういう生の声を言ってくれるようになるんですよ。「最初はきみたちもそんな感じだと思っていたよ」って。

——ああ。

落合 これは本当にいい経験になりましたね。「自分たちが何を考えていて、それをどう形にして行くべきか」ということが、行けば行くほどわからなくなってきたし、そのたびにより考えるようになったし。生半可な気持ちでやってはいけないこともよく分かって、考えれば考えるほど頭が痛くなるような体験でした。

——それでもやめずに続けようと思ったのは、なぜだったんですか。

高波 そこはやっぱり、「ワクワクの連鎖」というか。僕らの社名『PLAY TODAY inc.』にもそういう意味がありますけど、毎日がそういうことの連続だったので。僕らは旅であると同時に、彼らの「日常に入り込みたい」と思って各地を回っていたんです。「一日DJをやって終わり」ではなくて、そこから3日間現地に滞在していると、現地の方から相談が来たりもするようになって。そこで「僕らがやれることって何かな」と課題解決を考えたことが、後に繋がっていったりとか……そういう機会の方が、圧倒的に多かったんです。

落合 もちろん、他の企業の方々も課題解決のために向かわれていたと思うんですけど、東京的な視点のまま、地元の方々の気持ちを置き去りにしてプロジェクトを進めてしまったケースも多かったようなんです。

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杉山仁

杉山仁

ライター

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