――あら恋も3.11を風化させない意識が強いミュージシャンとして、例えば投げ銭方式のライブを2011年の3月に続いて、今年の3月にもFEVERで開催していますよね。そういう意味では、3.11以降のドキュメンタリーという側面もありますか?

あります。やっぱり、あの体験は大きいですよ。僕は震災でやっと自分の音楽を外に向けだしたというか。それまでも真剣にはやってたし外に向けたいとは思ってましたが、やっぱり対象が内に向いてたんだと思います。震災以降は「何のために」というより、「これだけは嫌だ」っていう違和感に向けて鳴らしている気がします、違和感と言ってもテレビレベルですが。「あの芸人、おもろないのになんで人気あんねん!」とかそのレベル。でもそっからでしょ。そのレベルの理想で良いと思うんです。ハイレベルの論争は結局、知識があり口のうまい人気者が勝つので。僕らの音楽はそういうガサっと流れる大多数に対して、「もっとおもろい芸人がおるよ!」みたいな。だからやっぱり主義じゃないんですね。差し水みたいな。で、自分が沸騰したり。

――ドキュメンタリーを撮るにあたって、池永さんはどんな役割を担当しているんでしょうね。

僕はカメラとマイクを持って、自分で体験したものを記録するっていう役割ですね。そんなに広い範囲ではなく、半径1,2メートルで僕が震災以降に見てきたものを撮(録)ってます。

――なるほど。池永さんの実体験や生活の目線に沿っているんですね。

そうですね。そこからどうアルバムに広げていくかっていうことですよね。ニュースやテレビやネットの情報からというより、自分の現実から見た景色というか、政治的に主義を唱えるのではなくて、自分が体験したものを記録して、その中から自分が言いたいこと、どう考えたかということが、結果的に音に出てると思います。そうならなかったら、逆に嘘くさいと思うんですよ。僕のやり方がそうなだけなのかもしれないですけど、体験したものを作らないと実感のこもらない地に足のつかない作品になってしまいそうな気がします。

――ちなみに、9月11日のリリースとなりましたが、「11」という数字は意識しましたか?

たまたまなんですよ、ほんまに(笑)。でもそれを、単なる偶然じゃなくて必然的な偶然と捉えることもできるわけじゃないですか。どうせならそう捉えたほうがおもしろいし。それこそ「ドキュメンタリー」でしょ。ものすごく示唆してる部分があるじゃないですか。元々は4日に出そうと思っていて、なんだかんだの都合で11日になったんです。「あ、11日やん、そういえば。どういう意味なんやろ。どこへ向かってるんやろ」みたいな感じで、自分でも不思議ですね。